平均律クラヴイーア曲集 リヒテルとグールド

 

正月休みに2人のピアニストのバッハ平均律クラヴィーア曲集を数日間掛けて聴いてみた。

演奏者の1人は旧ソ連ウクライナ出身のピアニストで100年に一人のピアニストと云われたスヴャトスラフ・リヒテル(1915~1997年)。

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演奏は1970~1973にかけてザルツブルグのクレスハイム宮殿で録音されたものでリヒテル55~57歳。RCA-VICTOR輸入盤4枚組でピアノはベーゼンドルファー

 

もう一人はこれまた天才ピアニストであり、バッハを現代に甦らせたカナダのグレン・グールド(1932~1982年)。

グールドの演奏は第1巻が1962~1965年にかけてニューヨーク、第2巻が1967~1970年にかけてニューヨーク及びトロントにて録音されたものでCD3枚組。グールド30~38歳。

ピアノの記載はないがおそらくスタインウェイと思われる。

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偉大なピアニストである2人の共通点は日本の文化や伝統に関心を持っていたことが挙げられる。又二人供ヤマハのピアノを好んでいた。

 

リヒテルの初来日は1970年(昭和45)のことで以後計8回来日し、62都市を訪れ162回の公演を行っている。鎌倉を愛し、宿泊時はその旅館で演奏を行ったりもした。ソ連には無い日本の"厳かさ"にリヒテルは感動を覚えた。

「ピアノを選ぶのはピアニストにとって有害だ」とも云っており来日時は、信頼する日本人調律師により調律されたヤマハのピアノを使用した。演奏スタイルはダイナミック且つ精緻なもので日本にも多くのファンがいる。

 

グールドは来日したことはないが、思索的なピアニストで著作も多く、リヒテル同様、或はそれ以上に日本にも多くのファンがいる。

1955年(昭和30)録音のデビュー盤ゴールドベルク変奏曲クラシック音楽史上稀に見る驚異的な売上を記録した。その2年後グールドはソ連への演奏旅行を行う。

 

1957年当時欧米諸国、所謂西側と旧ソ連・東欧にはイギリスのチャーチル曰く"鉄のカーテン"が降ろされていた。そのカーテンの向う側のソ連からオイストラフやギレリスがカナダへ来て公演することが予定された。

ならばカナダとしてもオイストラフやギレリス程では無くとも、自国を代表する才能ある音楽家ソ連に演奏旅行させたいと云う要望を持ち、またその機運も高まってきた。

ゴールドベルク変奏曲で米国、カナダで大反響を巻き起こしたグールドであったがソ連やヨーロッパでは全く無名のピアニストであったことから、カナダ政府は当初グールドのソ連演奏旅行に若干の躊躇を持っていた。またポーランド騒動やハンガリー動乱スエズ動乱に於ける中東へのソ連の介入等の政治的危険性についても考慮された。

がグールド自身の希望もあり、非公式ながら米国の承認も取れたことからソ連への演奏旅行は決定された。

1957年5月、ソ連にしては暑かった日、モスクワに到着したグールドは黒のコートとマフラーと帽子及び手袋をしていた。しかもタラップを降りたグールドは待ち受けていた関係者との握手を拒んだ。又このベッドでは眠れないという理由で用意されていた高級ホテルへの宿泊も拒絶し、モスクワ滞在中はカナダ大使館に宿泊した。

モスクワ音楽院での演奏はフーガの技法であった。当時マルクス・レーニン主義フルシチョフ政権下にあったソ連に於いて、バッハ

演奏は宗教上の理由でほゞ禁止同様の状況であり、3時間もバッハの音楽を聴くのは退屈に違いないし、増して名も知らぬピアニストの演奏でもあったことから、前半は一部音楽家のみの聴視でしかなく、モスクワ音楽院の大ホールはガラガラの状況だった。

ところが事件が起こった。

前半の演奏を聴いた会場の聴衆は慌てふためきながら、あらゆる知人に電話をかけまくった。受話器を取った人々は何か只ならぬ事がモスクワ音楽院で起こっていることに気付き始めた。

後半の演奏は電話を聞いて続々と集まった聴衆でホールはごった返しの状況となった。タチアナ・ニコラーエワ、ネイガウス等ピアニストは勿論、指揮者、外交官等も押し掛け騒然とした。

フーガの技法を聴いたとき、宗教的で退屈だと想われていたバッハの音楽がこれ程迄に浪漫溢れるものであること知り、多くの聴衆は驚嘆した。

鉄のカーテンを越えて西側から初めて訪れたトロントのピアニスト、痩せた蒼白い顔をした青年、極端に低い椅子に座った奇妙な演奏スタイル。しかし、その完璧無比の指使いに誰もが衝撃を受けた。まるで異星人の演奏を聴いているかのようだと…

モスクワ訪問後レニングラードに赴き、此方でもモスクワ同様その演奏は人々に大きな影響を与えた。

 

リヒテルはこの時グールドの演奏を聴き、グールドも又リヒテルの演奏を聴く機会を得てお互いを讃えあった。リヒテルは後に「グールドのようにバッハを演奏することは出来る、しかしながら猛烈な練習が必要であろう」とチェロの世界的名手ロストロポーヴィッチに告白している。

 

天才グールドは頭のなかで練習する。演奏中に想うように弾けなかったときは、窓辺に立って外をみて頭の中で奏法を組み立てる。それが出来れば、再びピアノに向かい、あっという間に曲を仕上げる。セッションを前にしても、練習はせいぜい2時間程だ。

安部公房の「砂の女」が好きで原作の訳本も読み、その映画に至っては100回以上も観ていると云う。安部公房は「壁」で芥川賞を受賞した作家で、東大医学部を卒業したが、医師にはならず作家として活動した。シュールな作風で海外でも人気がある。「砂の女」は世界的な反響を呼び二十数ヵ国で翻訳され、安部公房ノーベル賞候補にもなった。

部落民によって深さ20m程の砂の中の家に捉えられた男が、一度は脱出を試みるが、砂と雪の吹き溜りに足を捕られ死にそうになる。結局部落民に助けられ、女の家に連れ戻され、再び砂の家の女との共存を余儀無くされ、現世からは失踪するという奇妙な物語だ。

また漱石の「草枕」を愛読し、数種の翻訳本を持っており、自らのラジオ番組で朗読もしている。

"知に逆らえば角が立つ、情に逆らえば流される、とかくこの世は住みにくい"という有名な文章が出て来る小説である。

英訳文では「三角の世界」というタイトルで出版された。これは文中の"四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう"から来ているものと思われる。

グールドも晩年は或るヤマハのピアノを好んだ。

 

 

第1巻BWV846~869は1722年バッハ37歳、ケーテンの宮廷楽長を務めていた時期に、

第2巻BWV870~893は第1巻完成後20年を経て1744年頃(バッハ晩年時)に作曲された。

各々24曲ずつありプレリュードとフーガで構成されている。日本では平均律と訳されているが、もともとはよく調整された平均律を含む転調自由な音律…とあるように主として教育用に作曲された。

各曲の演奏時間は1~5分と短いが全48曲を聴くと200分以上となる。2人分を聴いたので400分以上となり、何度か二人の演奏を比べながら聴くと時間の感覚は無くなる。

 

演奏は1、2巻ともC-dur(ハ長調)から始まりC-moll(ハ短調),Cis-dur(嬰ハ長調)Cis-moll(嬰ハ短調)と続きH-moll(ロ短調)で終わる。

日本式音名で云えばハニホヘトイロを長調短調で演奏し、半音上がる嬰や半音下がる変調も加え各巻24曲からなる。

どちらも名盤なのだが、個人的な嗜好としては響きにやや強さがあるリヒテルの演奏より

グールドのクリアな音色の方が好みだ。

 

BWV(Bach-Werke-Verzeichnis)とは大バッハの作品総目録で、1950年ドイツの音楽家シュミーダーによって著された。他の作曲家と違い作曲年が不明なのでジャンル別に番号が附されている。

このクラヴィーア曲集では偶数が長調、奇数が短調になっており、前述したように其々プレリュードとフーガで構成されている。プレリュード(前奏曲)は比較的自由な旋律で演奏される。フーガは遁走曲などと訳されているが複数の旋律を同時に演奏する対位法における究極的な演奏法とされる。

ドイツの音楽家、ピアニストであるハンス・ビューローがバッハの平均律クラヴィーアを旧約聖書ベートーヴェンピアノソナタ新約聖書と表現した。他にバッハ、ベートーヴェンブラームスをドイツ三大Bとも称したのも彼である。

 

個人的な特に好みの曲としては

第1巻では847,853,857,867,869

第2巻では873,883,885,887,891

が挙げられる。

平均律は私の様な一般人には自由な演奏のプレリュードの方が耳に馴染む。

 

これと平行してハンスビューロー曰く、新約聖書であるベートーヴェンピアノソナタも改めて全曲聴いてみた。


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演奏者はフリードリヒ・グルダ(1930~2000)で1968年Amadeoリリースの輸入盤。録音は前年グルダ37歳の時。此方の方は聴くのに約9時間半(ピアノ協奏曲も第1番~第5番までの全曲入っているので、これを聴くと更に2時間プラスされる) 懸かるが、聴き馴れた曲があるせいか、バッハの平均律クラヴィーアの3時間半よりは聴き易い。

というのも、曲を挙げればまず第1番ヘ短調、第8番ハ短調(悲愴)、第14番嬰ハ短調(月光ソナタ)、第23番ヘ短調(熱情)は万人に感動を与える名曲であるし、他にもワルトシュタイン、テンペストなど良く知られた曲があるからと思われる。

但し、ハンマークラヴィーアや30、31、32の後期三大ピアノは難解であり、聴くのには相当の集中力が必要とされる。

旧約であれ新約であれ、バッハの平均律ベートーヴェンピアノソナタ音楽史上に燦然として耀く金字塔であることは異論のないところであろうし、感銘深い名曲集である。

 

それでも私にとっては僅か3分弱のモーツァルトピアノソナタ第8番イ短調K310の死に向かって突き進むような、切なく、哀しい、第3楽章以上に胸を打つものは無いのである。

 

 

 

 

 

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