鏡の中、マネの絵「フォリー=ベルジェールのバー」

東京都美術館
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《フォリー=ベルジェールのバー》


このマネ晩年の傑作に生きて出会える喜びを何と言い表せば良いものか。

只々あな嬉しき哉!

ルーブル美術館近くの裕福な高級官僚の家庭に生まれた生粋のパリジャンであるマネの絵が私は好きだ。特に (1)「草上の昼食」(2)「オランピア」そして今回東京都美術館で目にすることが出来た (3)「フォリー=ベルジェールのバー」の三点は格別なものだ。

(1)と(2)の衝撃性、(3)の不可思議性は尽きせぬ魅力に溢れる。

(1)と(2)はいずれも古典の題材に触発され描かれたが、(1)が発表された当時の1863年、人々に与えた衝撃とスキャンダルは相当深刻なものだったと思われる。更に娼婦そのものを描いた1865年(2)の発表はパリの人々に(1)以上の衝撃を与えた。

 

それは110年後の1975年に初めてマネの画集を見た私にも生涯忘れ得ぬ衝撃となった。

但し「退廃と下品、見るに堪えない」と当時非難された絵画を、私は例えようのない蠱惑に満ちた傑作として観たのであった。

 

今回のこの美術館展に私は2度足を運んだが2度とも入館後直ちに他の絵を後回しにして、この絵(3)の前に立った。美術本でしか見たことがなかったあの絵が、今、目の前にある、巡り合えた奇跡と喜び。ときめきと感動。イギリスにでも行かない限りもう二度とこの絵に会うことはないのだ。全てを逃すまいと眼を凝らしながらも、結局は只々茫然と立ち尽くしていたかのようでもあった。

 

<時代背景>

ギリシャの古典絵画やルネサンスの上品さを重んじるサロン(官展)が美術界を支配していた当時、マネの露骨な生々しさを持った絵画の登場は何程悍ましいものであったのか想像は出来る。素裸の女とスーツ姿の男達のピクニック、ヴィーナスの替わりに現実の娼婦そのものがベッドでポーズを取る絵姿はサロン史上あり得ないことだった。しかし上記述べたように「下品、卑猥、堕落した恥ずべき作品」等轟々たる非難に晒されたマネの絵は皮肉なことに、人々の関心を高め、多くの若い画家達の支持を得ることになった。マネはサロン入選を目指しつつも、その伝統や格式には全く拘泥せず、自ら考える芸術の根幹をサロンへの破壊と挑戦に満ちた確信犯的な出品で試み続けた。

ボードレール、ゾラ、象徴派の詩人マラルメ等文学者もマネの絵の擁護者であった。マネはゾラとマラルメに関して肖像画も描いている。特にマラルメとは晩年まで親交を結んでおり、そのマラルメの雑感によればマネはカフェでは皆をよく揶揄っていたが、カンヴァスに向かうと恰も初めて絵を描くように激情を迸らせていたと云う。

 

マネの生きた時代、特に前半は激動の時代だった。

1848年の2月革命による第二共和制の成立、3年後の崩壊。ナポレオン三世の登場による第二帝政時代を向かえてのパリの大改造、その後のメキシコ遠征の失敗等による恐慌後の普仏戦争の勃発。マネは国民軍に入隊しパリ防衛線に加わった。当初は大国フランスの有利に進むと思われていたこの戦争は、プロイセン軍モルトケの巧みな指揮によりナポレオン3世は捕虜となり、フランスの敗北に終わった。

この頃ノーベルによってダイナマイトが発明され、プロイセン軍の破壊工作等に取り入れられたこともプロイセンの勝利に一役買ったようだ。

ダイナマイトは元々二トログリセリンという不安定な液体であったが、ノーベルは珪藻土を吸着させることで安定化、固形化させる技術に成功した。ノーベルはこの発見によりしダイナマイトの破壊力を増大させ、運搬の不安も解消した。ダイナマイトはギリシア語で"力"を意味する。ノーベルは後に各国へ売付け、工場も各地に製造し莫大な収益を上げる。

 

勝利したプロイセンは多額の賠償金とアルザス・ロレーヌ地方の割譲という屈辱的な条件をフランス政府に提示した。フランスはこの条件を承服できず降伏を拒否した。これによりパリはプロイセン軍により統治され、フランスはヴェルサイユ宮殿で他国であるドイツ帝国戴冠式を強行させられるという更なる屈辱を味わった。これに憤慨したパリの民衆は武装蜂起し、1871年史上初のプロレタリアート独裁政権パリコミューンを樹立した。血の週間と呼ばれる悲惨な状況を招いた後、ヴェルサイユ政府軍により約2カ月で鎮圧されはしたが、短期間であったにせよプロレタリアート独裁政権の樹立はその後の革命に多大な影響を及ぼすことになる。マネはプロイセンによる祖国の敗北後疎開していたが、パリコミューンの鎮圧以降、疎開先からパリに戻って来たようだ。

1871年以後は第三共和制へと移行し、政事情勢は相変わらず不安定だったが、数年後には芸術の都パリの黄金期、ベルエポックの始まりを迎えようとしていた。

 

<その他好きなマネの絵画>

上記の3点以外でもマネの絵画には傑作が多い。

例えば「鉄道」、「旗で飾られたモニエ通り」、「オペラ座の仮面舞踏会」等多数。

又、余り知られていないが、特に海の光景を描いたものが私は好きだ。

「キアサージ号とアラバマ号の海戦」、「ロシュフォールの逃亡」、「嵐の海」、「月明かりのブーローニュの港」等。中でも歴史を描いたキアサージとロシュフォールはたまらない程素晴らしい。

この中の一つ「嵐の海」は上野の国立西洋美術館が所蔵している。

何故マネの絵はそれ程私を惹き付けるのだろうか? 洗練されたエスプリと浪漫とエロスと多少のダンディズムに満ちているからか…  敬意を込めてボンジュール・ムッシュー・マネなのである。 云うまでもないがマネは印象派には属さない。その後、続々と現れ出る印象派とはもともと次元が違うのだ。

 

<コートールド美術館>

テムズ川沿いに建つ、サマセット・ハウス内にあるロンドン大学に附属するコートールド美術研究所が持つ美術館で1932年に開館した、世界で最も名高い美術研究機関の一つである。繊維商であったサミュエル・コートールドは、その豊かな財力と審美眼により、優れた絵画を収集し、これ等を後に国家イギリスに寄贈した。(3)はこの美術館の修復作業のため、今回日本に貸し出されることになり、我々はこの絵に遇いまみえる幸運を得た。更に「草上の昼食」の下絵も展示されていたことは大きな驚きでもあった。(1)と(2)はオルセー美術館が所蔵しているが、今回展示された「草上の昼食」はオルセー美術館にあるものの下絵と考えられている。構図はほゞ同じであるが、大きさと、何よりも此方を向いている男女の表情と色彩が違うのである。それさえ同じであったらと望むのは余りにも厚かましい願いであろう。

(3)についての様々な分析が行われている。X線撮影による科学的解析の結果、バーメイドの後ろ姿は数回に渡り、右にずらされている。また当時マネがアトリエで描いたと同様のセットを組み、マネがどのような視点で描いたかも再現されている。その結果鏡の配置によりマネの意図した構図が正確に再現された。それによると表面からの視点と右側からの二重の視点が見えてくる。それは鑑賞者を嘲笑うかのようなマネ独特の緻密で巧妙な仕掛だった。こうして鏡を使った難解な描写はほゞ正確に再現されたもののバーメイド、シュゾンの不可解な表情は永遠に解けない謎である。

 

他にこの絵画展で一つ関心を惹く絵があった。それはポール・ゴーギャンのネヴーモア(もう二度と)という奇妙なタイトルが付けられた絵である。大鴉とベッドに横たわる女、その間に居る男女、これもまた謎めいた作品である。

 

 

<フォリー=ベルジェール>

この劇場は1869年フォリー・トレヴィスの名で営業を開始し、3年後に近くにあるベルジェール通りに因み、現在の名に改称された。ダンスショー、アクロバット、象の自転車乗りや像の楽団、サーカス、カンガルーと人間の拳闘、パガニーニの亡霊、蜘蛛タランチュラなど様々な催し物が楽しめた。

これ等当時の催し物の宣伝に使われたレトロ感満載のポスターも展示してあり、実に興味深いものであった。フォリー(狂った、愚かな、酩酊した)・ベルジェール(柔らかい椅子)。人々はそこに集い、社交場と化した劇場はショーを見せ、酒を提供し、また男と女が交渉する場でもあった。香水と化粧の香りが充満した娼婦たちの闊歩する場所。堕落と卑猥、淫靡な囁きがそこかしこに聞かれる回廊施設の一角にそのバーがあった。マネは恐らく青年期に罹ったのであろう梅毒の病状が悪化し左脚の壊疽により痛みに耐えられなくなる迄足繁くそのバーに通った。マネの集大成でもあるこの絵に対する執念は凄まじく、激痛でバーに通えなくなってからはバーメイド、シュゾンその人を自らのアトリエに呼んで、バー同様の配置を設定し作品を完成させた。

作品の舞台となったこの施設は営業形態は変わったものの今でもパリの同じ場所で営業を続けている。

 

<絵画「フォリーベルジェールのバー」>

 死の前年18882年に発表されたマネ晩年の謎に満ちた最高傑作。サロンには入選したがこれも発表当時から様々な物議を交わした作品だった。

後の検証で顕かになったとはいえ、その位置にありようがないモデルの後ろ姿、モデルに話かけているかのようにみえる右側のシルクハットの男、実際の酒の瓶と鏡に映る本数の違い、さりげなく赤い瓶に書かれたマネのサイン、これら実像と鏡に映された虚像との捩じれ。何よりも絵の中心に存在する、物憂げ、アンニュイ、無感動、無表情、ホールに集まる客達を恰も見下しているような様でもあり、喧噪の中の疎外感に茫然と佇んでいるかの様でもある、バーメイド、シュゾンの永遠に説明の付かない表情の謎。

下部の金色の枠から下の鮮やかな色彩で描かれている僅かな実像以外、その殆どが鏡の中の虚像であり、劇場の中の朧げな光景である。照明と中央の大きなシャンデリア、左上のブランコに乗った緑色の足。2階席で何事か囁いているかのように見える男と白いドレスの女、それらの虚像と鮮明に画れた実像部との対称性。モデル、シュゾンはその華やかなパリの虚像を鏡の中に見ているのだろうか。

 鮮やかな色彩のオレンジとクリスタルグラス、水差しグラスの二輪の薔薇の花等は溜息が出るほど美しい。この部分を切りとっても類稀れな静物画の傑作と云えよう。

これ等鮮やかで僅かな実像部とは対照的に、絵の殆どを占める鏡に描かれた、謂わば虚像部の朧げな光景の実像と虚像の中央に佇むバーメイド、シュゾンの表現し難い表情。世界は結して調和しない現実でしかないのだ。

娼婦達の化粧の匂いと堕落の叫び声が漂う場所。オレンジとバーメイドとの象徴性。頽廃、嫉妬、情慾、慾望渦巻く当時のパリの風俗を象徴する光景をマネはそのバーの一角から独特の洒落た感覚と皮肉めいたタッチで見事に一枚の絵に切り取った。観るものに困惑を与えるべく画れた巧妙な仕掛けは人間の肺腑を抉り取り、絡み合わせたように複雑で難解だ。このような精神の懊悩を触発するような晦渋な作品を目にしたとき、我々は妄執を放擲し、マネ渾身の一作を只黙然として鑑賞するしかない。

1882年の絵の完成後、壊疽の進行で左脚を切断。それによる予後不良でマネは翌年1883年51歳で死去した。

 

フランスの思想的、哲学者ミシェル・フーコーは1971年のチェニジアで講演した録音を基にした「マネの絵」という著作の中で次のように述べている。

私を魅了し、私の気を完全に惹いてしまうものがあります。例えばマネです。マネにおいては全てが驚きです。

例えば醜悪さがそうです。醜悪さのもつ攻撃性です。

鑑賞者に可動性を取り返したことのうちに、マネの決定的な豊かさがあります。

「フォリーベルジェールのバー」はマネの全作品を要約して見せてくれるようなものです。マネの絵の最後の一枚でもあり、最も観るものを混乱させる作品の一つです。

それから彼自身が自分の絵画について何も語らなかったというような説明のつかなさですね。マネは絵画においていくつかのことをしましたが、それ等のことに比べれば「印象派」たちは完璧に退行的でした。

マネは絵画的表象の技法と様式を変えた人であり続けています。

 

 

 

 




 

御殿山庭園と高杉晋作

今秋(2020年)初めてこの庭園を見に来た。豊かな自然に恵まれた散歩スポットで多くの人達の憩いの場になっている。広さは約2000坪あり、茶室などもある池泉回遊式の和風庭園である。近くには原美術館やマリオットホテル、セルビア大使館がある。

京急蒲田線で品川の次で降りる>f:id:gaganbox:20210113220116j:image

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<北品川は小さな駅である>
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<駅近くの歩道橋を渡るとトラストタワーが近づく。新八ッ山橋を左に曲がり、八ツ山通りを向かう>

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<御殿山トラストシティ>
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<このトラストシティーを入るか、少し先のマリオットホテル内を入れば御殿山庭園に行ける>

<東京マリオットホテル>

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原美術館、緑の庭園の美しい現代美術館として1979年開館した。カフェも併設されていたが、2021年1月11日41年間の歴史に幕を閉じた>

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<池泉回遊式の和風式御殿山庭園、紅葉最盛期の時期の前後は分からなかったが、それなりとでも云おうか>

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<御殿山通り。秋の日の余りの暖かさに桜が僅かに咲いていた>

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御殿山公園はその名の通り、将軍家光の鷹狩りのなどの為に御殿があった。
おそらく寛永の年(1661∼1673)桜の植樹が行われ、享保年間8代将軍吉宗(1716~1745の頃から花見風俗を齎し江戸有数の名所となっていったが、万延元年(1860)の頃井伊直弼により英国、米国、阿蘭陀、仏蘭西の公使館の建設計画が持ち挙がった。
これに対し東海道品川宿からは、御殿山は高台にあり軍事的要衝地であること、桜の名所であること、混雑により品川宿での外夷との問題が起こることなどから計画に憤慨、建設反対の意見書を提出した。しかし幕府は翌年(1861)攘夷派の襲撃に備えるためもあり各国外国との建設合意を受諾し、まず御殿山東南の英国公使館の建設が始まった。
ここに事件が起きる。長州藩高杉晋作は横浜で外国公使館の襲撃を計画するが、土佐藩士に漏れたことで、藩主毛利定広の知るところとなり、説得に応じ中止、自らは謹慎処分の身となった。この謹慎中に彼は国家の御楯となるべく御楯組を結成、血盟書を作成した。
血盟書作成の約1ヶ月後の文久2年(1863)、東海道品川宿の妓楼旅籠屋(土蔵相模)に集結した高杉晋作久坂玄瑞井上聞多(馨)、伊藤春輔(博文)を始めとする長州藩士13名は夜間焼玉を持ち、御殿山に向かい、外堀と柵を超え公使館に侵入、板や建具類を積み重ね焼玉に火を付けほゞ完成していた幕府費用により建設された絢爛豪華な英国公使館を全焼させた。大凡の犯人の目星は付いていたものの、庶民の覚え悪く、犯人逮捕は幕府の本心でもなかったことから事件はうやむやのままとなった。

高杉と久坂は芝浦の芸妓で燃え盛る公使館を眺めて酒盛りをしていたという。

 

後年明治政府を指導する立場となる、伊藤博文山縣有朋の伝記や回顧録に当時の模様が語られ、「あれは我々がやった」という自慢話から明らかになったようだ。

 

後、久坂は禁門の変で倒れるが、高杉は潜伏していた福岡で1人決然と立ち、赤間関に戻った。各諸隊の反対を押し切り、馬関の藩支所に朝駆けする。この時共に付いてきたのは伊藤春輔を始めとする数十名であった。所謂功山寺挙兵である。この挙兵が幕府に恭順を示していた藩政を倒幕に転換し維新への大回転とならしめる。これを征伐するため幕府は15万人の大軍を長州四境へ投入するが、対する長州軍は僅か4千~4千五百人の兵数で対抗した。

しかし高杉晋作村田蔵六の指揮により、四境悉くで幕府に打ち勝った。長州一藩のみで大軍の幕府軍を破ったのである。まさに奇跡と云える。幕府の権威は失墜し、慶喜は一旦江戸に逃げ帰り、やがて京都で大政奉還を迎えることになる。

 

長州の風雲児晋作は四境戦争の終焉も間近に迫った慶應3年(1867)、春も終わりに近い頃肺結核により逝った。

 

諱(いみな)は春風   享年29であった。

 

 

 

 

 

 

 

 



 

アークヒルズ音楽祭2019秋

午後はコンサート三昧の予定でいた。

都合良く仕事は時間内に終わったので、京野はまず新宿の小田急百貨店へ向かった。そこで14時から開演されるマンハッタンミニコンサートを聴き、終了後サントリーホールへ向かい、アークヒルズで行われるスクリーンコンサートの実行中継を観る予定だった。新宿へは何とか間に合った。

小田急マンハッタンミニコンサート>
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今回はピアノとヴァイオリンの演奏で、演奏者はヴァイオリン西浦詩織さんとピアノは

丸木かすみさん。曲目はミニコンサートでもあるし演奏時間は全体で約30分位である。その後演奏家達と客との交流の場がある。時間の制約から小品または曲目のうちのひとつ楽章のみの演奏が多い。今回はチャイコフスキーの”懐かしい土地の想い出”からと”モーツアルトのヴァイオリンソナタK304二楽章“、”ピアソラのイベルタンゴ“、そして最後は”モンティのチャールダッシュ“という曲だった。私は不覚にもこの最後の曲が分からなかった。演奏前に紹介を受けたはずだが知らない作曲者なので記憶に入らなかった。演奏後改めて質問した。「作曲者は誰で、クラシックなのですかと」それによるとヴァイオリン演奏上は可なり有名な曲で、様々な演奏者の演奏がYouTubeに挙げられている。イタリアの作曲者でヴィットーリオ・モンティ(1868~1922)の曲で、曲名はチャールダッシュという。

モンティはこの一曲のみで今に演奏されるまでに至っている。哀愁を帯びた軽快なメロディーが京野の好みに合った。西浦さんの乗りに乗った演奏が忘れられない。

 

小田急百貨店を出て、丸ノ内線に乗り、四ツ谷南北線に乗り換え六本木一丁目で降り、カラヤン広場へ向かった。10/5(土)のサントリーホールでの公演は17:30~がヴァイオリン川久保賜紀、チェロ遠藤真理、ピアノ三浦友里枝トリオによる、ラベルの亡き王女のためのパヴァーヌマ・メール・ロア(いずれもピアノ三重奏曲版で)・ピアノ三重奏曲イ短調。の三曲であった。(サントリーブルーローズホール)

その後が指揮ラクリン、ヴァイオリン三浦文彰、ピアノ辻井伸行&ARKシンフォニエッタによる、モーツアルト:ディベルトメントニ長調K.136、バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲に短調BWV1043、ショパン:ピアノ協奏曲協奏曲第1番ホ短調OP11(弦楽合奏版)がサントリ(サントリー大ホール)で行われる。チケットは早々に売り切れており、会場には入れないが生演奏の模様がカラヤン広場のビュースクリーンに映し出される。

広場のもかなり座席が用意され、こちらの方は全て自由席だが、席を離れると他の客に取られてしまうので、京野は広場近くのヒルズカフェで軽食を求め、座席を取った。

カラヤン広場の着いたのは15:30頃であったが、17:30の開演奏まで前年度の演奏が放映されていた。ドヴォルザーク弦楽四重奏曲アメリカ」とシューベルトピアノ五重奏曲「ます」であった。いずれも有名な曲であるが「アメリカ」は未だしも、「ます」などは何回聞いてもその良さが分からない。総じてロマン派の音楽は退屈だ。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調OP64を除いては。

サントリーARKヒルズコンサート>
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開演間近になると、舞台で曲目、演奏者の紹介が行われ、演奏が開始された。

夕方になり風が出てきたので京野はカーディガンを羽織った。何とはなく聴いていたが後半バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲が演奏されたときは、「安心感というかやはりバッハはいいな」と感じた。最後はショパンのピアノ協奏曲第1番とあるが、ショパンには2番目のピアノ協奏曲である。2番より有名で良く演奏されるが、2番も悪くない。

しかしいずれも感動を誘う迄ではない。

それよりもアンコール曲でショパン夜想曲嬰ハ短調20番遺作が演奏されたことは、何よりの収穫だった。京野はショパンの曲の中ではこの夜想曲1番と20番遺作が悲しいほど好きなのだ。演奏が終わったのは21時前位であったろうか。電車の移動が若干あったにせよ実に京野は14~21時迄の7時間音楽を聴いていたことになる。

ショパンの遺作が耳に残る中六本木を後にした。

 

 

 

 

 

 

シャンシャン見物顛末記

<入場者は皆マスクはしているもののやや密状態と云える>

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<この附近からシャンシャンの写真を撮りたい人達が列をなす。後方は藝大>

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 <写真を撮るための再入場>

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<シャンシャンは1頭だけ公園口入口近くのゾーンに居る。入園するとシャンシャンに会いに行くようになっている。

観覧路は前後にあり、まず前の道を通る。ここでは写真を撮ることは出来ない。写真を撮る場合は再度後列に並ぶ。この後列が長蛇の列となる。再びシャンシャンに会うまで1時間以上要した。しかも二人の女性係員が「立ち止まらないで下さい」と連呼していて、非常に喧しい。おまけにパンダが出たり入ったりと動きが激しいので想うような写真は撮れない>

 

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<パンダグッズ販売所>

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 <グッズに興味がない花村はAがグッズを買い求めている間、近くの五重塔(正確には旧東叡山寛永寺五重塔、現在は東京都所有)に向かった。他に訪れる者は居ない。紅葉にはまだ時期が早かったようだ。周囲には水路が流れ、遊歩道があり一周できる。花村とAの関係は下記参照>

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<象かな~?>

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<園内の紅葉?>

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<白い熊>

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<イソップ橋を渡り不忍池方面へ向かいパンダゾーンへ>

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<錦鶏(キンケイ)と銀鶏(ギンケイ)。

いずれも雄でその豪奢な色調には驚かされる。

 パンダが住む高山地帯に棲息するキジ科の鳥で錦鶏は全長90㎝位で銀鶏は、それよりもやや大きい>

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 <パンダゾーンのリーリー>

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とある知人(仮にAとする)の要望で、花村は上野動物園に出向くことになった。幼少時に数度(その頃の記憶は既にないが)と、40歳の頃に一度園内にある五重塔周囲の桜を見に来たことがある。五重塔東照宮の参道から鉄柵越しに見ることは出来るが、周囲の桜を見るには動物園に入園しなければならない。花村はそのためにだけ入園料を払い、五重塔と桜の写真を撮った。

わざわざ桜を見るためにだけ入園するなどとは余程奇態な者とでも云えようか…

その頃パンダは居たのだろうが、動物には全く関心が無かったので、撮影後すぐさま退園した。動物には今も興味はない。Aの要望でもない限り動物園などにはもはや生涯無縁であったに違いない。

 

高崎在住のAから連絡を受けたのは2020年、10月末のことだった。その折りシャンシャンなるものが上野動物園のパンダの名であることを花村は初めて知った。同時にAがパンダ大好き人であることも初めて聞いた。花村が高崎で数年間勤務していたときAとは親交を結んでいたのだがパンダの話は当人からは勿論、巷間漏れ聞くことすらなかった。Aはシャンシャンにどうしても会いたいのだという。パンダには一向に興味がない花村だが、それを理由にAの願いを断る程朴念仁でもないから、一緒に行ってもらいたいというAの願いは直ちに了承した。Aとは年に数度不定期ではあったが電話やメールで連絡は取り合っていたから、久闊を叙すと迄は云えないものの顔を合わせるのは6年振り位になる。思いがけず懐かしい人と相まみえることは望外の喜びと云える。Aによればシャンシャンは3年前に日本で産まれたが、2020年末には中国に返還されてしまうので、是非今のうちに会っておきたいということだった。12月迄は既に3ヶ月を切っている。残された時間は僅かだ。

 上野動物園の入場は博物館や美術館同様、コロナ禍によって制限されている。申し込みは土曜日限定で、しかもホームページ上でしか受け付けていないらしい。Aはサイトにアクセスを試みたようだが「私はロボットではありません」というチェックボックスが表示されたことでパニックになってしまい、それ以上進めなくなったので自分で予約を取ることを断念した。

何度かログインに失敗したことが原因と思われる。Aからその旨電話があり予約は花村が取ることになった。ホームページ上には時間帯が15分刻みで表示されており、空いている希望日の時間帯にチェックを入れると整理券(この場合はQRコード)がスマホに配信される。これを入園時に提示し入園料を支払い晴れて入園できる。この時期団体予約は停止され、入園口も公園口1か所に限定されている。12月になれば返還も近いし、COVID19も猛威を振るうだろうから11月中頃を見計らい、空き時間を検索した結果11月10日、12時の時間帯が空いていたのでここに予約を確定した。

(2020年12月、COVID19禍で2021年5月迄返還延長が決定されたようだ。 你好…透けて見える中国の笑)

 

当日Aは高崎から北陸新幹線"はくたか"に乗車し上野に来ることになった。高崎からは50分弱で上野に到着するが余裕を持って10:12到着の電車にすると云う。高崎は上越新幹線北陸新幹線の分岐点になっていてどちらの新幹線も停車するなど交通の便は良く、商業文化施設が建ち並び、群馬一の人口を抱える。

 

花村は10時前に家を出て、リニューアルされた公園口改札でAを待った。僅かな風の揺らぎはあったが爽やかに晴れた晩秋の好日を予感させる朝であった。定刻に電車は着いた。

確か花村より6、7歳上であったが6年振りに逢ったAは当時と少しも変わらないように思えた。先ずは動物園の並び具合を確認するため、園の入口へ向かった。公園口からは一直線になっている。

15分毎に表示された看板を持つ係員と列の状況を見守る係員が数名配置されて居る。12:00~12:15分の看板は未だ出ていなかった。係員に聞いたところ「12時はまだまだですよ」とのことだった。1時間程待つようなので動物園傍にある草木に囲まれた新鴬亭で休憩することにした。1915年(大正4)創業だから、100年以上の歴史を有する甘味処である。因みに動物園の開園は1882年(明治45)に遡る。店内に他の客は居なかった。アルコールで消毒し席に着き、団子とあんみつを注文し

た。

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味はごく普通である。色も余り映えない。

“羽二重”も何度か食べたがやはり団子は

“茂助”と“言問”が断然美味い。

 

話を聞けばAは上野動物園には一度も来たことがないと云う。なのにパンダ好みが嵩じて、日本に居るパンダより先に中国旅行の過程で、本場?のパンダを見るため北京動物園に立ち寄って来たという。ところが世界中にパンダをレンタルしている中国は、そのレンタル料金の一部をパンダ育成に充てるようになっているはずだが北京動物園のパンダゾーンは野放し状態でとても管理が行き届いているとは思えないという印象を持ち些かがっかりして帰国したそうだ。

 上野動物園も3頭で毎年2億円程(動物園関係者によると$建てで約95万程で、名目は中国野生動物保護協会に対する保護活動費であるという。レンタル料とどう違うのか分からないが)が都税で賄われている。

 

12時の入園時間も迫っ来たので入口に向かうと、12:00~12:15分の看板が出ており既に4、5人が並んでいた。最初の入場には余り時間は掛からない。写真を撮るための再入場には上記写真にあるように1時間以上要した。

イソップ橋を渡り、パンダゾーンに行くとシャンシャン程ではないがやはり混雑していた。

動物園不忍口を出た頃は、閉園のアナウンスが流れていたから16:30位であったろうか。

辯天堂から不忍池の桜道を歩き、広小路交差点をわたり、上野駅近くの昭和レトロ満載の純喫茶ギャランに入った。濃いえんじ色の豪勢でゆったりしたソファーに座り紅茶を飲み、ケーキを食べながら過ぎ去った高崎の想い出話に花を咲かせた。

年甲斐もなく歌ったり、踊ったりしたこと、万座や水上温泉の話、有名な衝立岩を含む

20を超える一ノ倉沢の大岸壁の壮観、天神平から勢いで魔の山谷川岳に登ってしまったことなど… 。話は尽きなかった

5時半にギャランを出、上野駅に向かった。

帰りの上越新幹線、上野発17:58の"たにがわ" がホームに到着した。

「楽しかった、12月迄にもう一度来たい」とAは言った。「いつでもいいよ」と花村は答えた。しかしそうは言ってみたものの胸の内では、恐らくウィルスの増殖状態をみれば2000年内に再び逢うことは叶わぬものとなるであろうと思った。それどころか今日が最後の再会となるかも知れない。花村はAが乗った“たにがわ”が見えなくなるまでホームに佇んでいた。

現在世界のCOVID19感染者は既に8000万人を超え、早々に1億人を突破するだろうし、東京の感染者も増加の一途を辿り、12月か1月中には1日の感染者が千人を超える日が来るだろう。しかしこれはPCR検査を受けた結果の数値であり、未検査の人の方が圧倒的に多いはずであるから感染者は相当数になっている。もはや誰が何時罹患しても不思議ではない。

そのウイルスが猖獗を極める都心の只中に幸か不幸か花村は生き、老いさらばえながら暮らしている。人間 がウイルスに勝てると思うこと自体が傲慢だ。死は常に今そこにあるのだ。

アーメン! 

 

「これでいいのだ!」我が敬愛するバカボンのパパは先哲至理の教えをまさに知悉していたと云える。

 

あかりパーク2020 上野恩賜公園


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近々上野動物園へ行くことになったので、動物園の現況を見ながらその界隈を歩いてみた。

噴水広場では再生エネルギーを使った様々な灯りを紹介するイベントが行われていた。

17時からは噴水広場や東照宮でライトアップ行われるという。

暫く工事中だった公園口もすっかりリニューアルされていた。2階には4件程のレストランが新しく出来ていた。

 

<リニューアルされた公園口改札>
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<木目調の2階展望テラス>
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<抹茶スイーツと京都うどんを提供する

和カフェ“やなぎ茶屋”に入り、ライトアップまでの時間を潰すことにした>
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九条ねぎ入りのきつねうどんは炊き込みご飯付きで、シンプルでさっぱりした食感は

好ましい味だ。米も美味>
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<デザートのバニラ抹茶ソフトクリーム>
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<公園口正面>
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<動物園の現況、日曜日だったが混雑はしていないようだ>
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<噴水広場のライトアップ>
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上野東照宮参道>
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東照宮ライトアップ>
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五重塔ライトアップ>
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恩賜公園内の灯籠>
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2020年、最初のライトアップ見学だった。

神宮外苑の銀杏並木

 数年ぶりに外苑の銀杏並木を見ようと思い立ち、上野から銀座線に乗り外苑前駅で降りた。青山通りから聖徳記念絵画館前までの一直線300mを左右2列にわたって並ぶ146本の銀杏並木の景観はいつ見ても見事なものだ。神宮は内苑と外苑より構成されている。

外苑は青山練兵場の敷地跡に心身鍛錬、芸術文化の拠点として外苑の象徴でもある聖徳記念絵画館を中心に創建されることとなり、大正7年(1918)に地鎮祭が行われ、創建後の大正15年(1926)に明治神宮に奉献された。練兵場であった頃は榎の西前方に設けられた御座所で明治帝観閲による観兵式が行われている。

青山通りから聖徳記念館へ向かって、右側にはテニスコート神宮球場、左側には明治記念館憲法記念館)、明治帝御観兵榎がある。一直線の銀杏並木の先はU字路に分かれ、U字を上部で結ぶような容で聖徳記念絵画館が建てられている。記念館には幕末から明治の世の出来事を絵画化したものが年代順に展示されている。

銀杏並木は外苑の創建に先立つ大正12年(1923)に植栽された。絵画館に近づくにつれ低い銀杏が植栽され、遠近法により絵画館は実際の距離より遠く見えるようになっている。

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<この時期、3件あるレストランカフェはどこも混雑している>

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青山通り方面から聖徳記念館を眺める>

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<聖徳記念館方面から青山通り方面を望む>

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銀杏並木から御観兵榎(現在2代目)を見て外苑東通りの権田原交差点を少し進むと右側に明治記念館入り口がある。明治記念館は結婚式場として有名だが、元々は赤坂仮皇居の御会食場として建てられ、この場所で明治憲法の審議がなされたので憲法記念館とも呼ばれる。静謐な佇まいの中にも、本館内部は壁一面に花鳥模様が描かれており、豪華な雰囲気も味わえる。自由に見学出来、レストランもあるので食事も楽しめる。

明治記念館憲法記念館)>

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青山通り

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伊藤忠ガーデンのライトアップ>

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2020年は新型ウィルスの影響でいちょう祭とライトアップは中止となった。

 

空・高層ビル・秋桜~浜離宮恩賜庭園

好天に誘われて、久し振りに浜離宮庭園を訪れた。日比谷線築地駅で下車し、もんぜき通りを歩き、右に国立がんセンター浜離宮ホールを見ながらゆっくり歩いて15分程で庭園入口の大手門に到着した。

築地本願寺交差路附近〉
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〈恩賜庭園大手門〉

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秋桜の見頃は9月中旬から10上旬と聞いていたので、もう花の盛りは過ぎたものと思っていたが、少し枯れつつありながらも、まだ充分な彩りを見せ、秋の青空に映える高層ビル群とキバナコスモスとのコントラストは見事な美しさを放っていた。


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秋桜を見た後庭園を一周した


水上バス発着場〉
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灯台跡〉
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〈新樋の口山山頂から〉

レインボーブリッジや臨海副都心を一望出来る。

近くには将軍お上がり場がある。鳥羽・伏見の戦いで、薩長軍の十倍の兵力を持ち、装備もフランスの後押しで、薩長軍に増す近代兵器を持っていたにもかかわらず、慶喜の指揮系統は無いに等しく、各部隊の指揮官も妄信的に幕府の権威にしがみつき、各所で失態を繰り返し勝てる戦を捨てた。

慶喜大阪城から密かに脱出し、この付近から江戸の地を踏んだことからこの名がある。

ここは既に東京湾なのである。

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〈中島の御茶屋に通じるお伝い橋〉
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〈中島の御茶屋と抹茶和菓子〉
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僅かな風の揺らぎがあった。

茶屋自体が右から左に動いているような錯覚を感じた。やがてそれは池面に浮かぶ数枚の小さな木の葉が潮風のいたずらで浮遊しているからだと気付いた。

 

茶屋が浮かぶ潮入の池は東京湾から海水を引き入れ、湾の水位の干満で水の出入りを調整し池の趣を変えていると云う。

 

<お伝い橋>

約120 mに及ぶ総檜造りで小の字島と中島を結んでいる
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<築地でのランチ>

海底をイメージしたレストラン
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料理を運んで来た20代の女性店員に
撮ってきたばかりのスマホの写真を見せた。

「えぇー、めっちゃ綺麗ですね。どこなんで    すか」

「すぐそこの浜離宮だよ」

「私、今青い空に凄くはまってるんですよ、    また来て教えて下さい。ご飯も味噌汁も

  お替わり自由ですから。食後にコーヒー

  とか アイスクリームはいかがですか」  

「いや、お茶でいいよ」

  と埒もない対話。