三四郎池の紅葉

時期も過ぎていたし、

日が陰っていたので写真映えはよくない
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東大に合格し、九州の田舎から東京へ出てきた小川三四郎は東京の余りの人の多さに驚き

困惑しながら暮らしていた。

ある日大学の講義に遅刻しそうになったので近道しようと通った処に池があり、そこで

団扇を持って佇む美しい女性里見美彌子に

偶然出会い一目惚れしてしまう。

 

池の正式名は池が心という字を型どっていることから育徳園心字池と云うがこの夏目漱石の小説“三四郎”から三四郎池と通称されるようになった。

育徳園とはこの池を含めた

加賀藩上屋敷の庭園名である。

池の周囲は遊歩道になっているが岩あり、

滝あり、高低差もあり起伏に富んでいる。

 

六義園の紅葉

六義園は五代将軍徳川綱吉側用人

柳沢吉保が築園した。

六義(むくさ)は古今和歌集に由来し、歌に詠まれたような紀州和歌浦の美しい景観を庭園に再現するよう試みた回遊式築山泉水で躑躅茶屋、滝見茶屋、渡月橋臥龍石、出汐湊

等見所が多く、藤代峠からは庭園が一望出来る。

幕末の混乱で荒廃した、この地一帯を維新後三菱創業者岩崎彌太郎が買上げ庭園の整備が始まり、その整備事業は弟彌之助、長男久彌に引き継がれほぼ現在の形を造り上げた。1905年(明治38年)には日露戦争から凱旋した連合艦隊司令長官東郷平八郎を始めとする6000人の将兵を岩崎家が招待し一大戦勝祝賀会を六義園を中心として催した。これにより非公開であった六義園は一般にも知られるところとなった。

その後岩崎家は1938年(昭和13年)庭園を

東京市に寄贈した。

 

正門
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正門入って直ぐの大きな枝垂桜前
で行われた大道芸、江戸太神楽
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内庭大門
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躑躅茶屋
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渡月橋


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藤代峠から
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滝見茶屋附近
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もみじ茶屋
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茶処心泉亭
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椿山荘の紅葉昼と夜


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椿山荘内にある食事処のうちリーズナブル

にランチが頂ける数少ない店。

14時過ぎていたと思うが先客が7,8名居て

30~40分店先の長椅子で待った。

温かい日だったので庵入口の紅葉を見ながら

のんびりとした気持ちで。

訪れたのは今回で3度目になるが

ここの蕎麦が実に旨い。

下の天蕎麦は2500円位だったか。
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食べ終えてから肥後熊本庭園を見た後

ライトアップ観賞
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