空の青さ

猛暑だ、猛暑だと騒ぎ立てられていたのに、

もう夏は終わってしまうのだろうか?

次々に発生した颱風は何処へいったやら。

空はどこまでも青く、窓を開ければ、

まだ8月半ばだというのに手足が冷え込む

程の冷気か舞い込む。乾いた冬のような青空、

4年前の冬の別離の時のような、悲しい程に冴え渡った青空が、今私の目の前にある。

決闘

“泣くな20歳で死ぬにはありったけの

勇気がいるものだ”  付き添っていた弟に残したガロア(1811~1832)最後の言葉だった。

夜明けの決闘に敗れたガロアは拳銃で撃たれた傷が原因で腹膜炎を起こし病院で息を引き取った。

ナポレオン失脚後フランスは王政派と共和派

との絶え間ない政争に突入する。

ガロアはこのような政治状況の中で生きた。

16歳の時ルジャンドルの書物により初めて

数学に出合った彼は、以来数学の狂気に

取り憑かれる。二度に亘る入試の失敗(この

時試験官の詰まらぬ質問に腹を立て黒板拭きを投げつけたからだとも言われている)、

政治的陰謀による父親の自殺、科学学士院

に提出した論文が二度とも紛失の憂き目に

あう等の不運が重なり王政派への不満と

憎悪が募って行く。

結果急進的な共和主義者の道を歩むこと

になり、何度かの投獄と服役の後一人の

女性が絡んだといわれる不可解な決闘を

申し込まれる。

 

死を意識したガロアは決闘前夜、夜を徹して

彼自身の中では明確になっていた数学上の

アイディアを“時間がない”という焦燥に駆られながら友人シュヴァリエ宛に論文を夜が

白むまで走り書きする。

定理の正否ではなく、その重要性について

ヤコビかガウスに公の見解を求めて欲しい

と遺書にある。自身の数学上のアイディア

と先見性には絶対的な確信を持っていたこと

が伺える。

ガロアの論文が知られるのは死後数十年経ってからであり、ジョルダンの置換論により

その理論が確立されるのは更にその二十数年

後であったにせよ、シュヴァリエに託された

ガロアの想いは届いた。

この不世出の天才が数学に携わった期間は

僅か5年に過ぎなかったが “誰に認められる

事もなく二十歳で散った命” が残した

19世紀の最も美しい理論は近代数学

扉を開き、群論の概念は多くの分野で

認められる普遍的なものとなった。

 

4次方程式までは解の公式がある(3次方程式

はカルダノ、4次方程式はフェラーリが解の

公式を作っている)

5次方程式には代数的解がない、つまり四則演算とべき根を開くという手法では解けない

ことは既にノルウェーの数学者アーベル

(1802~1829)が証明していたが(この偉大な

証明も生前認められることはなくアーベル

は失意のうちに二十六歳で病死している)

ガロアは方程式の可解性の問題を解の入れ替えによる対称性の問題に帰着させた。

その対称性の集りを一つのまとまりとして

捉える群の概念を発見し、方程式の代数的

一般解法問題を本質的に完成させて

しまった。

問題の深奥にある本当の仕組み

を明らかにしたのである。

 

 

 

 

 

織女と牽牛郎

天の河の東に機を動かす労役に付く織姫は

雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇とてなかった。天帝はその独居を憐れみ、河西の

牽牛郎に嫁ぐことを許した。

嫁した後余りの幸せに織姫は機を織ることを

止め、牽牛郎は牛の世話をしなくなって

しまった。

天帝は怒り織姫に河東に帰ることを命じ

逢瀬は1年に1回のみとした。

 

鵲はその翼を拡げ、天の河に橋を架け

二人の逢瀬を叶える

 

年に1度逢える、織姫と彦星

2度と逢えない織姫と彦星

様々な織姫と彦星達

 

 

 

 

Milky way galaxy

天の川銀河系は自ら輝く太陽のような恒星が数千億個、直径10万光年の円盤状の範囲に渦を巻くように集まっている。

地球もその一部であり、太陽系は銀河系の

中心から約3万光年の円盤のほぼ中心面に

位置する。

我々は内側からいわゆる天の川を眺めている。

NASAによれば地球がある銀河系は40億年

後には近隣のアンドロメダ銀河と衝突、

合体するらしい。

 

天の川をミルキーウェイというのはギリシャ神話から来ている。英雄ヘラクレス(星座名はヘルクレス)はゼウスとミケーネ王妃アルクメネーとの間に生れた。ゼウスはアルクメネーの夫に姿を変え王妃のもとを訪れた。

これを知ったゼウスの妃ヘラは怒りと嫉妬に燃えヘラクレスに母乳を飲ませようとしなかった。ゼウスは眠り薬をヘラに飲ませ、彼女が眠っている間に母乳を与えようとしたが

ヘラクレスの乳を吸う力が強く、痛みに目覚めたヘラが赤子ヘラクレスを突き放し、

その勢いでヘラの乳が飛び散り天の川を

作った。

 

 

 

虫けら

Xはこれ迄、季節の事など考えもせず、

灰色の泥の中で虫けらのように蠢き、

一条の光芒すら見ずに育った。

あらゆる感情を捨て、機械的な微かな呼吸

のみを繰り返す日々。

生活の一切は恥辱であり絶望が唯一の友

であった。

なぜ朝目覚めるのだ。一日がまた始まる

事への恐怖。何千日、何万日と続く

立ち止まることが出来ない絶望の日々の

連続。一瞬一瞬は崩れ去り、時間だけが

通り過ぎ、空虚が全てを支配する。

不手際な人生に付きものの矮小な精神と

脆弱な肉体。

狂気も錯乱も無い人生に何の意味がある。

ひたすら耐え忍び生きながらえ、

知らぬ間に闇に消え去るだけだ。

舗道に倒れ込み、頬杖を突きながら考える

取り留めもない思考の連続を。

 

菌が作るヒトインスリン

現在発売されているヒトインスリン

大腸菌酵母菌により作られる。

遺伝子工学技術がそれを実現させた。

インスリンはA鎖21個、B鎖30個の計51個のアミノ酸からなる分子量5734のポリペプチドホルモンであり、A鎖は1つのS-S結合を持ち、A鎖とB鎖は2つのS-S結合で繋がっている。ウシインスリンはヒトインスリンと3個のアミノ酸が異なり、ブタインスリンではB鎖30位のアミノ酸がアラニン、ヒトインスリンではスレオニンであり、この1ヶ所のアミノ酸が異なるのみである。

このように以前はインスリンはウシやブタの膵臓から抽出したものを使用していた。

何故ならヒトから採ることは出来ないし、

僅かなアミノ酸の違いしかないのだから。

しかし1個のアミノ酸の違いではあれ、アレルギー反応は起こり、また共結晶化する

プロインスリンを取り除くことは困難

だった。更に糖尿病患者が増加傾向にある

なか1人の患者が1年間に使用するインスリンを賄うには約70頭の豚を必要とするなど、

量的にも遠からず危機的状態の到来が予見

された。これ等の問題は1970年後半に台頭

してきた、遺伝子工学の技術的発展により

克服されて行く。ベストとバンディンクの

インスリンの発見から57年後の1978年、アメリカのベンチャー企業ジェネンテック社が

A鎖を作るDNAとA鎖を作るDNAを大腸菌プラスミドに組み入れ、その後S-S結合で組み合わせたヒトインスリンの作成に成功する。

イーライリリー社はこのジェネンテックと契約し、プロインスリンから二本鎖ヒトインスリンにする方法に切り替え、改良プラスミドを用いた大腸菌の大量培養によるヒトインスリンの生産を開始した。これにより動物由来によるアレルギー反応は激減し、製剤も安定化する。

 

大腸菌によるヒトインスリンの製法は

大まかに述べれば

①ヒト細胞のDNAからインスリンを作る

    遺伝子部分を制限酵素(DNAの特異的な

    シークエンスを識別し2本鎖のまま切断

    する酵素で、これにより遺伝子組み換え

    等が可能になった)で切り取る

大腸菌のプラスミドをやはり同様の制限

    酵素で切り取る

制限酵素で切り取ったヒトインスリン

    遺伝子とプラスミドをリガーゼで結合

    させる

④組み換えプラスミドを大腸菌に戻し培養

大腸菌インスリンを生産する

 

大腸菌の大きさは約1マイクロメートル、20分に

1回分裂増殖する。