東京銀座資生堂でチーズマロンケーキを買う

 

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中央の花椿通りを挟んで左がフルーツパーラー、右が化粧品ビル。 花椿通りの名は、出雲から寄与された出雲椿(藪椿)を街路樹として植えたことによる。

 

並木通りの銀座オフィス本社ビル。高級フレンチレストラン「ロオジェ」もビル内にある。f:id:gaganbox:20230922122150j:image

 

創業者の福原有信は江戸幕府医学所で西洋薬学を学んでいたが維新による混乱で一時郷里の千葉に戻る。1869年(明治2)再び上京し、大病院(後の大学東校、東京大学医学部の前身)の中司薬の職務に就く。

1871年(明治4)高輪の海軍病院薬局長となったが、西洋に倣い自らの店舗で医薬分業システムを実現すべく翌年1872年(明治5)官を辞して日本初の洋風調剤薬局資生堂薬局を出雲町(現銀座8丁目)に開設した。資生堂の名は中国「易経」の一節「至哉坤元萬物資生」~至れるかな坤元(こんげん)萬物(ばんぶつ)資(と)りて生ず~からきている。

 

1891年(明治24)海軍軍医総監を退任した高木兼寛が当時民間随一の最先端病院東京病院の院長に就任した。英国医学を体験し、医薬分業、看護師制度の重要性を認識していた高木は院内薬局業務を資生堂に委託した。資生堂からは30人程の薬剤師がここに派遣され福原有信は薬局長となり業務を統轄した。又福原は1884年(明治17)大日本製薬会社の設立に当たって専務に就任、1888年(明治21)創立の帝国生命保険会社(後の朝日生命)理事(後に社長)となる等多忙な日々を送る。

 

国策会社でもあった大日本製薬会社設立にあたってはドイツ留学中だった長井長義を帰国させ技師長として招聘した。

1885年(明治18)長井は大日本製薬衛生研究員が麻黄から抽出した黒褐色のエキス中に結晶が混在しているのを認めた。長井はこの結晶物質を単離精製し、後に構造式も決定する。これが今日に至るまで使用されている気管支拡張藥エフェドリンの発見であった。長井は後にエフェドリンを還元して生じるメタンフェタミンも合成した。又、大日本製薬は1887年(明治20)やはり長井処方による日本初のコールドクリームを発売した。

当時資生堂で販売された医藥品、化粧品も長井の処方によるものが多かった。

 

遡って1879年(明治12)には東京薬舗会が発足し、福原は幹事となる。この薬舗会は1888年(明治21)東京薬剤師会となり、1893年(明治26)には全国組織の日本薬剤師会の設立へと発展した。福原はこの時理事となり、1907年(明治40)には日本薬剤師会第三代会長となった。

 

 

資生堂店舗では高額だが確かな品質の医薬品、化粧品等を販売した。

古い順から代表的な商品を挙げてみると

①健胃消化藥ペプシネ飴(1884年明治17発売)

②福原衛生固形石鹸状練り歯磨き

    (1888年明治21発売)

    当時流通していた粉歯磨きの10倍もする

    高価なものであったが品質が良く、売行き

    好調となり資生堂の名を高めた。

③脚氣病新劑脚氣丸(1893年明治26発売)      

資生堂の赤い水と云われた高級化粧水

   オイデルミン(1897年明治30発売)

   オイデルミンはギリシア語の良い(eu) 皮膚(derma)からの造語

⑤ヘアートニックフローリン(1915年大正15)

ドルックス(1932年昭和7発売)

 

 

尚② ④ ⑤は化学遺産として登録されている。

又④ ⑤ ⑥は現在でも販売されている。

 

有信は米国視察の折に目にした「ソーダファンンテン」を輸入し、1902年に薬局内に設置、ソーダ、アイスクリームの販売を開始した。これが銀座の名物となり、薬局はその後、資生堂パーラーへと姿を変えてゆく。

有信の三男福原信三は千葉医学専門学校(現千葉大学医学部)で薬学を学び、卒業後コロンビア大学に留学、後にニューヨークのドラッグストア、化粧品店にて実地を研修を行い、見聞を拡めた。帰国後信三は父有信の跡を継ぎ1927年(昭和2)株式会社資生堂を設立し、初代社長となる。翌1928年には化粧品部を独立させ、以後化粧品中心の販売体制に移行した。同年アイスクリームパーラー(西洋レストラン)も開店し、多くの客が訪れ高級、ハイカラな"東京銀座資生堂"の企業イメージが定着していった。

 

③の脚氣丸は結核とともに当時国民病であった脚氣の治療藥として発売され大変な売れ行きであった。脚氣は白米偏重による栄養障害に起因していた。脚氣丸は逸早く此に気付いた医師高木兼寛考案による食物配合不良説を基に開発された本邦初のビタミン剤であったと推定される。脚氣はVB1欠乏によるものと現在周知されているが、この当時は原因不明であり、ドイツ医学を信奉した陸軍が細菌説、イギリス医学の影響を受けた海軍が何らかのの栄養素不足による疾病であると主張し対立していた。

 

⑥のドルックスはフランス語で高級(de luxe)の意だが発売当時と違い、現在は1000円以下のお手頃価格で販売されている。

筆者も数年前までドルックスのナイトクリームを使用していて、知り合いのキミちゃんに「いつも顔つやが良いけど何使っているの」と問われたので「資生堂ドルックスクリームだよ、しっとりとさっぱりタイプがあるけど、しっとりはベタつき過ぎるので、さっぱりで丁度良いね」と言ったことがある。

その後キミちゃんもそれを使い始めた。キミちゃんからは紹介した御礼にとブルガリのオードトアレを貰った。随分高く附いた紹介料なのではと恐縮した覚えがある。

只、ドルックスは瓶タイプで破棄が煩わしいことから現在筆者は使用していない。

 

話は大分逸れてしまったが今回の目的は資生堂銀座本店限定発売、しかも金、土、日曜日のみの曜日限定ガトーウィークエンドマロンを買うことだった。

しかし他所でのランチ後で資生堂到着は13時頃になってしまったためか目的の物は既に売り切れていた。

もう一つ本店限定であった白いケーキ、ガトーバターフレームオブールも売り切れだった。おまけに3階のフルーツパーラーも満席で入店できなかった。

仕方なしにチーズマロンケーキを買った。これは本店限定ではない。

デンマーク産の濃厚クリーム、渋皮マロンソース、芳醇でまろやかな味わいのマロンペーストを加え焼き上げたものである。まあ普通に美味しかったと言えようか。


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