駒込は染井吉野発祥の地であり、染井吉野は江戸彼岸桜と大島桜を人工的に交配したも のと云われる。この公園にはその二つが植えられている。
<色褪せているが郵便ポストも桜色>
染井通りは六義園の染井門前の斜め前から真っ直ぐに延びた道で染井霊園まで続く。
歩いて直ぐ右側に日本で凮月堂、森永製菓に次いで3番目(大正3)にチョコレートを販売した1886年(明治19)創業の芥川製菓がある。商品はホテル、レストラン等主に業務用に作られている。学生時代から山手線から見える看板が気になっていて、1度味わってみたいと思っていたが、直営店が池袋ショッピングパーク内の1ヶ所しかなく実際に食したのは卒後20年程たってからであった。購入した板チョコはいかにも老舗らしい上質な味がしたことを覚えている。クリスマスやバレンタインデーの後年数回本社でセールがある。整理券が配られ毎回行列が出来る盛況さである。
近年はオンラインショッピングも行っているようだ。
<池袋ショッピングパーク内 芥川製菓>
芥川製菓を過ぎるとすぐ染井橋があり、ここから霊園まで歩いて7~8分といったところか。
<染井橋>
<染井霊園>
二葉亭四迷、岡倉天心、山田美妙、高村光雲・光太郎・智恵子、波多野精一、若槻礼次郎等著名人の墓所も多い。
染井霊園から駅方面に戻ると間もなく交番があり、そこを左に曲がると染井よしのさくらの里公園が見えてくる。
この辺を含む一帯、駒込小学生、門と蔵の広場、染井神社周辺が染井村と呼ばれた。江戸の頃駒込は柳沢家、建部家、藤堂家、松平家等の大名屋敷があり、それ等屋敷の庭の手入れをするため、多くの農民が駆り出された。そこから庭職人、園芸職人が生まれこの地域に居住するようになり、菊やつつじなど四季折々の花々が栽培され、多くの植木屋が軒を連ねる一大園芸名所となっていった。
染井吉野は江戸末期から明治に掛けて吉野桜として売り出されたが大和の吉野桜と区別するため染井村の染井をとり染井吉野と呼称されるようになる。
<さくらの里公園>
染井吉野は既に散っており、咲いていたのは牡丹桜だった。
<染井神社>
今回4月3日はほゞ散ってしまっていたが、満開時の神社から駒込小学校に至る迄の桜並木は見事な染井吉野に彩られる。
<門と蔵のある公園>
<花咲か七軒町植木の里>