抗体多様性の謎の解明

白血球中のリンパ球B細胞は免疫グロブリン(IgG,IgM,IgA,IgD,IgEの5種類.IgG

が最も多く全体の70~75%を占める)を産生し、体内に侵入する細菌やウィルス等

抗原病原体を特異的に攻撃し、感染を防御する。ヒトは100億個以上に及ぶといわれる無数の抗原(異物)の侵入を絶えず受けながら数十年の生命を保つことが出来る。

1つの抗原に対応できる抗体は1つであるにも関わらず、様々な抗原に対応できるのは何故か?

 

抗体は蛋白質であり、蛋白質はDNAの情報がRNAに転写され、それをもとにアミノ酸が作られその繫がりが蛋白質となる。

しかし、2~3万程の限られた蛋白質から、どのようにして100億個にも及ぶ抗原に対応する抗体が作られるのか?

 

1889年北里柴三郎は当時不可能といわれた破傷風菌の純粋培養に成功し、更にこの毒素を無毒化する抗体を発見、血清療法を確立させた。この頃から抗体が多様な抗原に反応することが知られていたが、そのメカニズムは不明であった。

 

それから87年後の1976年利根川進はスイス、バーゼル免疫研究所での10年間の研究成果を携え、ジェームズ・ワトソン(DNA分子構造の解明者の一人)が所長をしていた米国ゴールド・スプリング・ハーバー研究所にて抗体多様性のメカニズムを発表した。

持ち時間は僅か20分程であったため、数多くの追試を重ねてきた成果の発表には余りにも短く、案の定予定時間を超えてしまい司会者に進行を止められた。

しかし所長のワトソンは、これは重要な研究であるから、そのまま続けるよう提言した。

発表は続けられ、進むにつれて会場は静まり返ったが、質疑応答を含め全てが終わった時、利根川進は万雷の拍手に迎えられた。

 

ワトソンは「congratulation」素晴らしい発表だったとその成果を讃えた。利根川まだ無名の36歳の夏の事であった。

 

胎児マウスでは遺伝子が幾つもの小さな配列に分かれて繋がっているが、成熟したマウスのB細胞DNAでは免疫グロブリンFab領域(可変領域)に複数存在する抗体遺伝子の断片がランダムに選択され、成長するに従いダイナミックに動き、組変わって遺伝子が形成されて行くと共に、その組合せにより抗体の多様性が生じることを明確に証明した。

100年弱の長きに亘ってベールに包まれていた謎は解明され、この研究により利根川進は1987年日本人初のノーベル医学生理学賞を受賞した。

 

 

  (参照)

免疫グロブリンYの上部V領域はFab(Fragment antigen binding)と呼ばれ2つの先端部分で抗原と結合しそれを排除、不活化する。

多様な抗原に結合できるようアミノ酸配列に多彩な変化が見られる(可変領域)。一方Yの下半部(縦棒部)はFc(Fragment crystllizable)領域

と呼ばれ免疫細胞表面上のFcレセプターを介して抗原と結合した抗体を認識して抗原を貪食(オプソニン作用)し、また補体系への関与によって免疫系シグナルに重要な役割を果たす(定常部)。

 

 GLP-1製剤等一部製薬にも応用されている。