能を簡略化したものを仕舞という。
日比谷フェスティバルショーで元々は能の演目である「邯鄲」「網の段」「船弁慶」の
3作品が仕舞として上演された。
邯鄲
網の段
船弁慶
此処では「邯鄲」について述べる。
中国唐の時代の伝記小説「枕中記」によるもので"一炊の夢"或は"邯鄲の枕"等の言葉でよく知られる。
常に出世を夢見ていた蜀の青年盧生が旅の途中、趙の都邯鄲の茶店で会った仙人に夢が叶うとされる枕を借り午睡する。その夢の中で己の栄耀栄華を極める物語なのだが、宿の主人に起こされ眠りから覚めると、物語は盧生が寝る前に炊いてくれていた黍(きび)の飯がまだ煮えていない程の短い時間の出来事であった。
能「邯鄲」では枕を与えるのは宿屋の女将となっている。
蜀の国の青年盧生は佛道をも願わず、只茫然と明け暮れするばかりの己が人生を顧みて、人生如何に生くべきか悩んでおった。そこで、楚の国の羊飛山に偉い坊様が居ることを聞き、その坊様に逢おうと旅に出る。國を雲路のあとに見て、山越え野越え、名にしおう邯鄲の街に辿り着き、此処で宿を取ることとした。
宿にて盧生は粟の飯が炊けるまでと女将に奨められ「邯鄲の枕」と云われる枕を借り、一睡のまどろみをなすこととした。女将によればその枕は古(いにしえ)に仙の法を行い給う御方から宿のためにと譲り受けたもので、未来の悟りを得られると云う不思議な枕とのことであった。
眠りに就いた盧生のもとに、楚の国の勅使が訪れる。聞くと楚の皇帝が盧生に帝位を譲りたいということであった。盧生は想ってもみなかった申し出を訝りながらも、楚王の意向であり、帝王の器であると勅使に言われると遂に光耀く玉の輿に乗り宮殿に赴く。
宮殿の庭には金銀の砂が敷かれており、数えきれない程の寶の山が連なり、出入りする人々の衣装もまた煌びやかなものであった。あらゆるものが絢爛豪華に光耀く広大な天宮を見て盧生は唯々驚くばかりあった。
勅使の言うとおり譲位を承けた盧生は皇帝となり栄耀栄華を欲しいままにする。やがて50年の歳月が過ぎ去り、在位50年の式典を執り行う運びとなった。
不老長寿の仙薬も手に入れ、仙家の酒を拝し、春も萬年、民栄え、國栄え、栄華も弥増し喜びは溢れるばかりの華麗な王宮の日々。
夜もすがら謡う内に、日又出でて明らかになり、夜かと思えば、昼になり、昼過ぎれば月又さやけし、春の花が咲けば、紅葉(もみじ)も色濃く、夏かと思えば、雪が降り、春夏秋冬、萬木千草も一日に花が咲く。何と不思議な事か…
盧生の視界は次第に途切れ途切れとなり、50年の栄華も盡きて「邯鄲の枕」の上にいつしか深い闇へと沈み行く。
すると宿の女将が粟が炊けましたと盧生を起こしに来る。「邯鄲の枕」による眠りの夢は覚めたのである。
全ては粟が炊き上がるまでの一炊の夢でしかなかったのだ。大宮殿での50年祭の式典は宿の畳、僅か1畳分の内で観た幻に過ぎなかった。
栄枯盛衰、盛者必衰、諸行無常。
「人生は一瞬の儚い夢でしかない」と盧生は悟るのである。
夢か現世(うつしよ)か?
果てまた盧生が見た夢こそが現世なのではあるまいか?
世界は闇の中である。
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