凶悪!仁義の墓場(石川力夫)どうしよもない男

俺が死ぬ時はカラスだけが泣く!

石川力夫は実在した極道者である。極道というだけで忌み嫌う世の中なので、この映画を観た人は少ないだろう。又上映されたのは1975年度(昭和50年)で46年前の映画であることから観ようとする余程の意思でも無い限りこの映画と出合うことはないだろう。

この映画は真当な精神構造を持っている一般の紳士淑女が見るべきものでは無い。大多数の人にとっては気味が悪いだけで観ても何ら益するものは無いように思える。

只大いなる人生の虚脱感を味わいたい人々は観てもよいかも知れない。

映画名は「仁義の墓場」という。

渡哲也の東映移籍第一回作品、メガホンを撮ったのは深作欣二という監督だった。

 

渡哲也の映画やTVは何本か見ているが良いと思ったものはない。全部見た訳ではないので観たものの中ではとしか言えないが。

しかしこの映画は恐らく日本映画史上に残る傑作と云える。勿論好みの問題はあるだろうが…

大河ドラマ勝海舟を病気で降板し、8カ月の闘病生活を経た後の病み上がりの渡哲也が主人公である石川力夫なるヤクザ者を演じている。まるで石川力夫が乗り移ったような渡の鬼気迫る凶暴な演技と、主人公が実在した人物とは云え深作欣二以外には決して撮りえない暴力的な演出には戦慄を覚える。これは残酷で、破滅的な人格、不気味で暗く、笑いや喜びという感情をその生命体の中に全く持ち合わせていない残虐非道者の半生を衝撃的なタッチで映像化した仁義も筋目も無い、真っ暗闇の、狂気溢れる、アナーキーな作品である。

深作欣二は「仁義なき戦い」でブレイクした監督であるが、他にも「蒲田行進曲」「魔界転生」「火宅の人」或は既に50年前に、今日のウィルス禍を予見したと云われる小松左京原作の「復活の日」の映像化も行っており作品の幅は広い。

 

映画は主人公石川力夫を知る人達へのインタビューから始まる。東京へ出る迄の少年期の石川がどんな性格、特徴を持っていたか聞き出してゆく。石川の少年時代を語る人達の水戸訛りの話し言葉とモノクロの映像は恰もドキュメンタリーを想わせ、以後の展開への関心を煽る。

 

舞台は石川が東京に出て、河田組というテキヤの子分になった昭和21年の新宿。

敗戦後の混乱期で多くの闇市が並んだ駅前附近では新旧或は他地域のやくざが入り乱れ凌ぎを削っていた。

 

石川の行状

1.三国人(朝鮮、台湾、中国人)襲撃

池袋から新宿に侵出し商売をする親和会のチンピラに石川は誰の許可貰って売やってるんだと言い掛かりを付け、いきなり拳銃を発射し相手が稼いだ金を践んだくる。

しかし組のために良かれと思ってやったことを、余計なことをするなと兄貴や親分に窘められる。

そんな時、後に今井組を起ち上げる今井幸三郎から日本人に対して無理、無法を働く三国人のアジトを襲撃する計画を持ち掛けられる。

チャカ(拳銃)を調達した今井、石川等は東京中野の三国人のアジトである中華料理店を急襲。金品を強奪し逃走する。

この逃走の過程で、何事かと偶然戸を開けた地恵子のもとに、石川はこれ幸いと転がり込む。

事件を知ったMP(アメリカ軍憲兵)と日本の警察が捕縛に乗り出す。石川は後で取りに来ると言って三国人から奪った金を地恵子に預け今井等と合流する。

2.地恵子を自分の女にする

襲撃された三国人、襲撃した今井、石川共々逮捕投獄されるが今井、石川等は警察の温情?で牢獄から解放される。その帰り路石川は地恵子の部屋に上がり込み「何にもしねえーよ、何にもしねぇーよ」と繰り返しながら女を手籠にする。以来地恵子は石川の女となり疫病神に取り憑かれる。犯した後預けていた金品は持って帰る。

3.親和会幹部を刺す

池袋親和会は新宿進出を画策する。新宿の倶楽部で遊ぶ親和会の幹部とその部下達は池袋から連れてきた幹部の女を倶楽部で働かせ、その倶楽部で派手に金を使う。石川はこの女に狙いを附け、女が便所へ行くことを確認すると小便している最中を見計らってドアを開ける。「何するのよ」と抵抗する女に襲いかかる。親和会の幹部が気が付き「表へ出ろ」ということになる。シマを荒らされるのは組のためにならないと思った石川は表に出る前に匕首でいきなり親和幹部に斬りかかり重傷を負わせる。

大事になることを怖れた河田組は大金を包んで親和会に見舞方々詫びを入れに行くが、新宿進出が目的である池袋親和会は此れに応じず一触即発の事態となった。困り果てた河田組組長は兄貴分である野津に相談に行く。野津の助言により、GHQを介入させ、河田組対親和会の一触即発の事態は回避された。石川は組内の兄貴分たちに散々どやされるが「俺のお陰で親和会が手を引いたんじゃねえか」と嘯く。

4.河田組長の兄貴分野津の車を炎上させる

賭場で掛札(金)が無くなった石川は代議士の先生に胴元が掛札を貸すのを見て、俺にも貸してくれと頼みこむが断られる。今にも掴みかかろうとするところを河田組の兄貴分である野津が現れ「組の看板を大事に出来ねえ奴は本当の男にはなれねえぞ」と苦言を呈しつつも侠気溢れる野津は石川にポンと金を差し出す。石川はこの金を平然と受け取るが、意見されたのが気に入らなかったのか、受け取った札束にライターで火を付け、野津の高級車の給油口に放り込み車を炎上させる。

5.自分の組の組長に斬りかかる 

今迄我慢してきた河田組組長も兄貴分の野津の車の件では流石に堪忍袋の緒が切れ、木刀で散々石川を叩きのめす。「親分もうこの辺で、後は俺達が言って訊かせますから」と子分達の意見を受け組長はやっと引き下がる。全身を強打され、血だらけになった石川は兄弟分の今井の処に行って酒びたりになる。

その夜石川は組長の仕打ちに我慢出来ず深夜呑んだくれの状態で河田組に舞い戻り、親父に会わせろ難癖を附ける。

再び組長に打ちのめされるようとするところ隙をついた石川の匕首が親分の腹部を刺す。親に手を挙げる飛んでもない奴に組長は日本刀を抜き、対抗しようとするが、それより早く更なる石川の匕首が組長を斬り刺し大怪我を負わせる。

石川は逃亡。地恵子の部屋に転がり込む。

「寒いよー、寒いよー、助けてくれ」と言って地恵子にしがみつく。

数日後中野警察署に自首し1年半の実刑となる。親に仇なしたこの事件はやくざ社会に衝撃をもたらし、石川を殺れば男が上がると石川は皆に狙われるようになる。

6.死への恐怖と大阪落ち、地恵子を売る

「元旦や 我が前に立つ 黒き影」という句にあるように石川は死への恐怖を常に抱いていたのか刑務所内でも一つ部屋に居る囚人達にいきなり殴りかかる等狂暴を極めた。

刑期を終えた石川を待って居たのは兄弟分の今井だった。石川には東京処払い10年の破門状が出されていた。今井は石川に「暫く大阪に行っていろ、10年とは云わずに俺が何とか東京に戻るよう計らうから」と石川を思いやる。

地恵子の処にも行き「大阪に行くことになった、ついては逃亡資金が必要だ。四谷荒木町に俺の知ってる芸妓屋がある。そこへ行って呉れるか」と言い石川は自分の女である地恵子を芸妓屋に売り飛ばす。地恵子はこの時既に結核に侵されていたがこれを隠し、黙って石川の言うままになる。この当時結核は未だ不治の病だった。

6.大阪でヘロインを覚える

石川は大阪に行くが、釜ヶ崎のある病院録に肺結核との診断が残されていたことから石川も結核にかかっていたようだ。

ドヤ街で知り合った娼婦に「あんた知らんのかいセックスよりなんぼかええで」と言われヘロインを教わる。

モルヒネを超越する万能薬ヘロイン。モルヒネをアセチル化したこの薬物は、血液脳関門を容易に通過し脳神経を占拠する。陶酔の極致に達し、此れ迄味わった快感を全て掛け合わせたものをも凌ぐ多幸感が得られるという。それ故に精神的、身体的依存性は強い。

襤褸アパートの一室で壁に凭れかかり呆けたように一点を見詰める男とぐったりと項垂れるペー中毒の女。隣の部屋では位牌に頻りに手を合わせる男。

ヘロイン(ペー)が欲しくなった石川は暴力団が営業する店を襲いペーを奪おうとするが抵抗される。そこにペー中毒の極道者小崎が駆け付け矢鱈めったら拳銃をぶっぱなし「全部出せゆうとるやないか」と言ってありったけのペーを奪う。

 

7.兄弟分の今井を殺害。地恵子の自殺。

大阪にどうしても馴染まなかった石川は10年の所払いのところ僅か1年ちょっとで、大阪で知り合った小崎と共に新宿に舞い戻って来る。一家を構えるようになった兄弟分今井組の賭場に現れ、賭場荒らしをする。今井は石川を呼び「河田組に見つかったら面倒なことになるから、大阪が嫌だったら他紹介するから、河田組に知られる前にここを離れろ」と言う。これに対し石川は終始無言であった。今井は仕方無く当面の資金をくれてやる。石川は黙ってこれを懷に入れ立ち去るが今井の賭場にいた石川の噂は嫌でも河田組の知るところとなる。破門状を書き、所払い10年を言渡しにも拘わらず1年ちょっとで戻られた日にゃ河田の面目は丸潰れとなる。河田は今井を呼びつける。今井は河田と話合い「兄弟分のことは俺が責任持って何とかします」と河田に約束する。ところが石川は「兄弟分のことはどんなことかあっても守ると言ったんじゃねーのか、お前俺を売ったな」と逆怨みする。今井も「それじゃー兄弟分の処で賭場荒らししてるのはどういう算段なんだ」と意見すると石川は不気味な笑いを浮かべて今井にいきなり匕首で斬り付ける。小崎はチャカを撃ちまくり、共に逃亡する。今井組は逃げた石川を懸命に捜すが杳として見付からなかった。しかし1週間が過ぎた雨の降る日、黒い合羽に全身を包み、手に拳銃を持った石川が1人で今井組にやってくる。今井組の子分を嚇し、今井の部屋を確かめると2階で身体中に包帯を巻き付けていた今井にいきなり拳銃をぶっぱなす。今井も引き出しの拳銃を取ろうとしたが間に合わず背中に止めの数発を浴び息絶える。

翌日潜伏先を察知した野方警察署は50名の警官隊でそのアパートを取り囲んだ。これを聞き付けた今井組、河田組の組員も集まってきて現場は騒然とした状況となった。「周囲は全て包囲されている、拳銃を捨てて自首せよ」と云う警察署長の勧告に対し石川は警官隊に向けて発砲、徹底抗戦するが弾も無くなり、石礫を投げつけられ、堪らず外に出た処で警察に捕まる。

裁判の結果、懲役10年の刑が確定する。

石川はこれを不服として最高裁に上告する。

地恵子は自らの病気も顧みず身を粉にして働き前借を重ね保釈金を用意する。

 

仮釈放になった石川は地恵子のもとを訪れる。相変わらずペーを打つ石川だったが地恵子の病状は悪化しており石川が、ペーで陶酔に浸っている間に激しく喀血した。石川は手拭で地恵子の血だらけの腕、顔、胸を拭う。地恵子は「有難う」の一言を石川に残し、泣き崩れた後剃刀で手頸を斬り自ら命を絶つ。

窓の外に揺らぐ赤い風船。

 

 8.再び河田組に顔を出す

何くれと親身になってくれた兄弟分の今井を撃ち殺し、地恵子を自殺に追いやった石川は墓を造る。正面に石川力夫と今井幸三郎、左側に今井、石川、地恵子の3人の戒名、右側に「仁義」の文字を刻んだ。この墓は西新宿の寺に現存するが、石川の刻んだ「仁義」とは如何なる意味であるのかは謎である。

地恵子の遺骨を抱いた石川は河田組を訪ねる。例の如く暫くは無言である。組員に「用があるならさっさと言え」と責められた石川は骨壺の蓋を開け、地恵子の骨を囓りだす。驚き呆れる組仲間をよそにやっと口にした言葉が「長い間迷惑を掛けたけど俺もこの辺で一家を起こしたい、ついては2丁目の空いている土地を俺に呉れませんか。あとビルを建てる資金として2000万程都合してくれませんか」だった。

石川は地恵子の骨をしゃぶりながら組長を恐喝する。悪鬼のような男である。呆れ果てた組長が去った後、まるで冥土からの使者の言葉である如く、静かに、ゆっくりと、「また来るぜ」とドスの効いた捨て台詞を残して去って行く。

 

 9.墓場での襲撃、飛び降り自殺

墓を立てる場所でも探していたのか、女の遺骨を置いて墓地にしゃがみ込み、ぺーを打ち陶酔郷を彷徨う石川。もう殺るしか打つ手が無いと付け狙ってきた河田組の組仲間数人により滅多刺しにされる石川。

宙(そら)を舞う赤い風船。

 

このろくでなしの疫病神はそれでも死なず病院に搬送され奇跡的に回復する。

上告は却下され再び府中刑務所に収監される。6年の歳月を経た後、何を思ったのか他の囚人、監視員が止める中、身体を包んでいた毛布をマントのように拡げ病院の屋上から飛び降り自らの命を断った。

 

辞世の句が刑務所内の壁に書かれていた。

「大笑い 三十年の 馬鹿騒ぎ」

 

石川は30年の生涯のうち、9年間は刑務所で暮らした。娑婆で生活したのは約20年、長かったのか、短かったのか。

30歳で自らの命を絶つに至った境地も又判らない。

映画を観終わった後、これ迄味わったことの無い深い虚脱感に見舞われ、吐気を催した。

何という人生なのか!

 

全編を通して流れる、切なく、やるせない、哀調を帯びた旋律が頭にこびりついて離れない。

 

 

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