国宝に指定されている茶碗は現在8碗ある。内訳は曜変天目が3、油滴天目が1、玳玻天目(たいひてんもく)が1の所謂唐物が5碗。
李朝物の井戸茶碗銘喜左衛門が1碗、国焼である銘卯花墻と樂焼白方身変茶碗銘不二山の2碗の計8碗である。
三井美術館は桃山時代の志野茶碗 銘卯花墻(めい うのはながき)を所蔵している。丁度展示中でもあったということと、又本展終了後はリニューアル工事に入り来年の4月まで閉館ということだったので観ておくことにした。
三菱に続き三井美術館を訪ね両財閥の美術館を巡ったが、財閥の歴史としては三井の方が古く、伊勢松坂の商人であった三井高利が日本橋に三井越後屋呉服屋を開業したのは1673年(延宝元年)のことである。10年後の1683年日本橋駿河町に店舗を移し呉服店、次いで両替商も開業した。駿河町は現在の日本橋室町一丁目で三越日本橋店、三井住友信託銀行が有る場所であり、三井は同じ場所で340年近く営業を続けている。美術館内には中央通りから駿河通り(現在の江戸桜通り)を経て常磐橋方面を描いた広重の絵が飾られている。これには両側に三井呉服店の暖簾が画かれており(右は現在の三井住友信託銀行)奥中央には駿河町の名の由来となった駿河國の富士山が大きく描かれている。
現銀掛値無し(げんきんかけねなし)や店前現銀売り(たなさきげんきんうり)等当時としては様々な斬新な手法を試み三井越後屋呉服店は大いに繁盛した。越後屋の名は高利の祖父が武士であり、越後守を名乗っていたことによる。
三井越後屋は1904年(明治37)、三井と分離して株式会社三越呉服店となり、日本初の百貨店として出発。1928年(昭和3)に現在の社名株式会社三越となる。
日本橋三井タワーは千疋屋と三井が建築主であり、高層階にはマンダリンオリエンタルホテルが入る。今ではこの高層ホテルからしか富士山は見えないかもしれない。ラグジュアリーなマンダリンオリエンタルホテルにはフレンチのシグネチャー、中華のセンス、鮨宮川等の高級店が入り贅沢な時間と空間を味える。
又2階千疋屋にはフルーツパーラーの奥にWINE&DININGのデーメテールがあり、数ある千疋屋店舗のなかで唯一本格的なフレンチコース料理を楽しめる。高い天井、スワロフスキーの仄暗いシャンデリア、店内から見えるビル群の夜景、それらが相俟った瀟洒なアトリウムで優雅な一時を過ごすことが出来る。
〈デーメーテール〉
三井美術館は日本橋三井タワーに隣接した三井本館7階にある。
〈ミュージアムカフェ〉
〈鴨蕎麦といなり寿司2個付き〉
ここで腹拵えをしてから美術館を見学することにした。
三菱のCafe1894とは大分雰囲気は違う。
果たしてリニューアル後はどうなるのか?
私は茶碗や茶に格別関心が有るわけではないが数年前に一保堂の丸ノ内仲通り店で煎茶を飲んだことがあった。一保堂は京都に本店がある創業1717年という日本茶の老舗である。
店内には嘉木(かぼく)という喫茶室があり、和菓子とセットで淹れたての抹茶、煎茶、ほうじ茶等を味わえる。抹茶はたまに飲む機会に接することがあるので、その時は煎茶を選んだ。本格的な作法に従って淹れて貰った煎茶を飲むのは初めてであり、実に芳ばしく、温度差によるものと思われるが1つの茶葉でこれ程味に違いがあるのかと感心した記憶がある。
茶に親しみながら喧しい世に一切背を向け
枯淡の境地に入るのも一興かなとは思う。
今回三井美術館で展示してあった国宝は以下の2件。
桃山時代の〈国宝 志野茶碗 銘卯花墻 〉
写真は無いがもう1つは江戸時代の円山応挙筆による「雪松図屏風」。
三菱で12、三井で2の、計14件の国宝を短期間で観たことになる。
だからどうと云うことでもなく、観てもその価値が分かる訳でもない。
しかし、今回も含めこれ迄観てきた国宝の中で、何故か魅了されたものは何件かある。
挙げてみれば、鳥獣戯画、地獄草紙、狩野永徳の洛中洛外図(上杉本)、俵屋宗達の風神雷神図それに今回の曜変天目茶碗等…