ヴィオッティ・ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調

ヴァイオリン協奏曲には名曲が多い。

例えばブラームスベートーヴェンメンデルスゾーンの3大ヴァイオリン協奏曲、他にもラロのスペイン交響曲ブルッフのヴァイオリン協奏曲等々。又協奏曲ではないがバッハのヴァイオリンソナタとパルティータ(特にシャコンヌを終曲とするパルティータ第2番ニ短調BWV1004)は必聴だ。1挺のヴァイオリンに宇宙がある。

 

 

3大協奏曲の中では私はメンデルスゾーンの曲が好きだ(2つあるがホ短調64の方)。いきなりの長いソロ(オケは弱く附随する感じ)から始まるのだが、特にコンサート会場で聴く時は演奏直前のあの緊迫感が堪らない。視聴者すらそうなのだから演奏者の緊張はいか程のものかは想像出来る。第1楽章から第3楽章迄の切れ目のない演奏がより緊迫感を増すと同時に、この曲の美しく、流麗たる響きに誰もが感動を受けるであろう。

私がこの曲を聴いたのは20代前半の頃であった。勿論当時CDは開発されてないのでLP録音(LP録音の方か音域が拡く響きがある)で聴いた。ヴァイオリンソロは当時のヴィルトオーゾ、ルジェーロ・リッチでピエロ・ガンバ指揮ロンドン交響楽団による1957年録音の演奏だった。リッチの咽び無くような、刹那気な演奏に非常に感銘を受けたことを覚えている。

 

裕福な家庭で育ったメンデルスゾーンの豊かさ故の憂鬱、哀感といったものがリッチの演奏に合致したのもか非常に感動的な演奏に聴こえた。

メンデルスゾーンはこのヴァイオリン協奏曲作曲の3年後(1847年)に姉の急死が引き金となり自らの病状も悪化し還らぬ人となった。

 

このメンデルスゾーンの曲と同じか或はそれ以上に好きな曲がヴィオッティのヴァイオリン協奏曲第22番イ短調だ。

ヴィオッティは生涯29曲のヴァイオリン協奏曲を作曲した。このうち演奏されるのは22、23番の2曲だが22番の方が断然良い。

 

イタリア生まれのジョバンニ・バッティスタ・ヴィオッティ(1755~1824)の主な活躍の舞台はパリであった。ヴェルサイユに赴きマリー・アントワネットに仕えたが、フランス大革命勃発により、創作不可能になったので一時ロンドンに逃れた。その後ロンドン追放、復帰を経るうち、演奏活動を断念してまでワイン事業に精を出すが失敗。幾つかのストラディバリウスも手放す破目になった。パリに戻り1819年王立音楽アカデミー監督となるが仕事ははかばかしくなく2年後には辞任した。但し1709年製ヴィオッティ・エクス・ブルースと1712年製ヴィオッテイは残っていたようだ。

ストラディバリウスに彼の名を冠したヴァイオリンには上記以外に1718年製ヴィオッティ・エクス・ローズとNPO法人イエロー・エンジェル所有のヴィオッテイがある。イエローエンジェルによれば所有しているのは1704年製のもので、現在三浦文彰に貸与しているとある。私が六本木で見たものは、このヴィオッテイなのだろう。

それ迄ヴァイオリン制作の1メーカーであるに過ぎなかったストラディバリの名声が拡がったのはヴィオッティがヴァイオリン演奏にその楽器を使用したことに由るものと伝えられている。

 

 

ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲第22番イ短調の話になるが一言すれば典雅、憂愁、流麗で浪漫溢れ、旋律の美しさは際立ったものと云える。

手元にあるのは1980年クルト・レーデル指揮ライン・パラティナ国立管弦楽団演奏のものでヴァイオリンソロはルーマニア出身のローラ・ボベスコ。

ソリストの端正な顔立ち、肩まで伸びたブロンドの髪。清楚で華やか、気品ある美しさ、優雅さはまさにこの曲を演奏するに相応しいヴァイオリニストと云える。長い年月に渡り愛聴し続けている一枚だ。


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イ短調 #ローラ・ボベスコ