完全試合

 

1952年(昭和27)6月15日松竹‐巨人11回戦9回裏、大阪球場はざわついた雰囲気に包まれていた。巨人軍投手別所敦彦は9回裏、27人目の打者を迎えていた。それ迄ノーヒットノーラン、フォアボール無し、失点無しの完璧なピッチングだった。誰もがNPB史上2人目の完全試合を成し遂げるものと思い、観客は固唾を飲んで見守り、守備に入っている巨人軍選手達の緊張は頂点に達していた。

別所の偉業達成を目前にして、松竹監督新田は最早代打選手も使い果たし打つ手なしの状況だったが、投手を打席に立たせるよりはまだ増しだろうと思い、それ迄僅か3回しか打席に立ったことがないブルペン捕手の神崎安隆を27人目の打者として起用した。

神崎はバントを試みたが2度失敗、別所に2ストライク迄追い込まれた。3球目はボールとなったが、4球目を別所は自信に満ちた裂帛の気合いで投じた。その球は明らかにストライクゾーンに入っていた。

ところが球審は何とこれをボールと判定した。別所は強く抗議したが判定を覆すことは勿論出来なかった。5球目はボールだった。フルカウントになったことから一抹の不安が別所の胸を過ぎりはしたが、今度こそと思い6投目を投げた。それは運命的に神崎のバットに当たり、よろよろと遊撃手平井の前に転がって行った。名遊撃手平井であればこの打球は間違いなく拾ってくれると別所は思った。だが天は別所の偉業達成を阻んだ。大阪球場グラウンドは前日に降った雨のため生憎幾分かの湿り気を帯びていた。泥濘の上を緩々と転がる変則的な球は名内野手平井の捕捉のタイミングを狂わせた。平井が球を拾い一塁手のグラブにそれが収まった時、既に神崎の足は1塁ベースを踏んでいた。内野安打となった。9回2アウト、27人目の打者も2ストライクまで追い込んでの最後の最後で別所の運命の糸は無情にも断ち切られた。

別所は次の打者を三振に打ち取り9対0で完投勝利投手となった。しかしながら、この時

別所の體を凛冽たる朔風が吹き荒れていたことは想像に難くない。通算310勝、MVP2回、シーズン47完投、沢村賞2回という大記録を成し遂げた別所であったが遂に完全試合を成すことは無かった。

代打者神崎が4年間のプロ野球人生の中で放ったヒットは別所から奪ったこの時の1本だけだった。恰も別所の完全試合を阻むためだけに産み出されたかのような、只1本のヒット。これにより神崎の名は野球史に永遠に刻まれることになった。

 

1949年NPB(日本プロ野球機構)の誕生後、2022年現在までの73年間で完全試合達成者は16名存在する。現在まで2度目の達成者は居ない。完全試合ノーヒットノーラン(No.hit-No.run無安打無得点)でもあるがノーヒットノーラン完全試合とは異なる。

ノーヒットノーランはフォアボール、エラー等で塁に出ることは許されるが、完全試合は如何なる理由であれ1人も塁に出してはならない。

あり得ないことだが、打者3人を3連続ストライクで、3連続3振に打取れば投球数は81となる。この球数以下は無いと思ったが、1956年国鉄宮地惟友が投球数79で完全試合を成し遂げている(奪三振数は僅か3)。この記録は今も破られていないが27人をなるべく多くの凡打で打取れば79球或は81球以下も可能となるだろう。

 

14人目は1978年(昭和53)阪急今井雄太郎によって為され、これが昭和最後の完全試合となつた。

以後16年間達成者は現れず、15人目は1994年(平成6)福岡ドーム球場、巨人-広島戦に於いて、巨人軍の槙原寛己によって成し遂げられた。

ドーム球場初、人口芝グラウンド初、平成唯一、20世紀最後の完全試合となった。奪三振は7、投球数は102であった。

2022年(令和4)4月ロッテ佐々木朗希がZOZOマリンスタジアム球場、対オリックス戦で13者連続奪三振の新記録、史上最年少の20歳5ヶ月(これまでは20歳11ヵ月)、1試合19奪三振のMPBタイ記録(完全試合では新記録か)で史上16人目の達成者となった。投球数は105、21世紀初、令和初、槇原以降実に28年振りの快挙であった。

藤本、宮地、槙原、今回の佐々木朗希の4人が背番号17である。達成者16名のうち最も多い背番号であり、且つ素数でもある。

佐々木は果たして史上初2度目の完全試合を成し遂げることが出来るだろうか?

 

これは日本のNPBに関して述べたものであり、その他の野球組織に対しては筆者は全く知見がなく野球そのものにも興味がない。

 

著名な思想家新渡戸稲造は1899年「武士道」と云う書物を英文で著しアメリカ合衆国で出版した。その後各国で翻訳されベストセラーとなった。日本では1938年矢内原忠雄(後に東大総長となる)が翻訳し、岩波書店から出版され廣く流布されるに至った。

その新渡戸稲造が1911年(明治44)第一高等学校校長(旧制一高現東大)の時に野球を「巾着切りの遊戯」と新聞紙上で評したことがある。筆者も成る程と思い込み未だにその発想から抜けきれていないのだが、完全試合だけには関心がある。そこに野球を超越した数学的な美しさ、或いは浪漫的なものを垣間見ることが出来るからなのかも知れない。

 

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