多分オリンピック前であろうが、いつの間にかリニューアルされていた千駄ヶ谷駅.
津田塾大学も新築されていた.
この学校の創設者は次回5000円札の肖像となる津田梅子.
隈研吾設計の新国立競技場
新宿御苑は周囲3.5km、面積約18万坪(59万㎡)に及ぶ広大な庭園である。徳川家康家臣内藤家の下屋敷であったそうで、1872年(明治5)当地に牧畜園芸の改良を目的とした内藤新宿試験場が設置された。1877年(明治10)には後の東大農学部、東京農業大学の前進となる農事修学場が開校され、マスカット・林檎・枇杷・苺等多くの果実、野菜の育成、栽培が行われた。マスクメロンもこの新宿農業試験場が発祥の地である。その後1906年(明治39)皇室の庭園となり、1949年(昭和24)に一般に公開された。桜の植樹は明治・大正時代に行われており、現在65種類、約1100本の桜がある。最も多いのは染井吉野で400本、次には八重桜の一葉160本、関山100本、普賢草70本と続く。御苑を代表する桜は一葉であるらしい。
染井吉野が満開を向かえる3/19~4/10日迄は事前予約が必要だったが、10日以降は予約なしで入園出来る。
染井吉野が散り去ってさっぱりしたところで遅咲きの桜を見るのも乙なものだ。
偏見かも知れないが遅咲きの桜の方が美しくて気品がある。
門は新宿、大木戸、千駄ヶ谷と3ヵ所あるが今回は千駄ヶ谷門から入園した。
園内はS(南)E(東)N(北)W(西)と分かれており、其々番号が附けられている。自分で順番を決めて効率良く廻ればよいのだが、終いには余りの広さにどうでも良くなってしまう。
桜を見る前にチューリップ
関山(カンザン)
旧洋館御休所と関山
一葉(イチヨウ)
上の池、中の池、下の池があるが此処は中の池前の眺め
三角花壇のチューリップ
茶室翔天亭
茶室楽羽亭
日本庭園
他園内各所
ハンカチの木か?花名札がなかったので確実性は無い
普賢象(フゲンゾウ)
福禄寿(フクロクジュ)
八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)
兼六園菊桜(ケンロクエンキクザクラ)
梅護寺数珠掛桜(バイゴジジュズカケザクラ)
楚々として咲き残っていた染井吉野
散ってしまっていた白妙(シロタエ)
駿河台匂(スルガダイニオイ)
市原虎の尾
京都老舗和菓子、笹屋伊織売店
福来どら焼苺 800円 美味
中央休憩所附近
紅豊(ベニユタカ)
大島桜(オオシマザクラ)
江戸(エド)
鬱金桜(ウコンザクラ)
御衣黄(ギョイコウ)
御衣黄は御苑1100本の桜木の内の1木か2木あるのみで地図で場所を確認したつもりであったがなかなか見つからなかった。今回は御衣黄を見るのが主目的だったので、見ることが出来ない儘立ち去ることの喪失感は甚大である。気が付けば9時過ぎに入園してから4時間近くが経っており、いささか気落ちしていた処だった。
もう1度回って見付からない場合は諦めて帰ろうとしていた時、緑色の花を眺めている二人のご婦人に出会った。「あーこれか、やっと見付かった」と思って急ぎ足で其処に行った。
しかしそれは鬱金桜であった。鬱金も御衣黄同様、広い庭園の中に多分1木しかない。いずれも緑色で目立たないので見ようとする意識が無ければ通り過ぎてしまう。
二人の婦人が「これは御衣黄ではなく鬱金なのよ」と話していたので「御衣黄は何処に在るかご存知ですか」
と尋ねたところ「あー其処にありますよ」と教えてくれた。何と直ぐ後ろにあったではないか。
肩の荷がやっと下りた気がした。「あーこれで安心して帰れる」と心の充足を感じた瞬間だった。
御衣黄はその名が示すように高貴なる方々が好んで身に纏っていた萌黄色の衣服に因み江戸中期頃に名付けられたと云われている。
鬱金との違いは花弁が肉厚で外側に反り返っていることと、花弁に含まれる葉緑素含量の相違等が挙げられる。御衣黄は葉緑素が多くより緑が濃く、満開に近付くと花芯の条線が虹色を帯びて赤みを増す。
鬱金は葉緑素が少なく淡い黄緑色で、香辛料として使用されているウコンの根茎で染めた色に似ていることから名付けられた。やはり御衣黄同様徐々に紅変し散り際には赤みが強くなる。
緑っぽい桜の御衣黄と黄色っぽい桜の黄桜鬱金と覚えておけばよさそうだ。
どちらも八重桜の一種でオオシマザクラを基にしたサトザクラに属しており
❲優れた美人❳・❲精神の美❳