梅雨の間の好天に誘われ、久し振りに散歩をした。言問通りを真っ直ぐ根津方面へ緩やかな坂道を下がって行くと不忍通りと交差する地点、根津1丁目に出る。
この地区は文(ふみ)の京(みやこ)、文京区であり、その名の通り東大や日本医科大学、お茶の水女子大学、東京医科歯科大学等の大学や高校が多数存在する。又森鴎外、夏目漱石、石川啄木、坪内逍遥等小説家も数多く住んでいた。
〈交差点角に昔から有る赤札堂、千代田線
根津駅入口も近くにある〉
有名な根津権現様は千代田線の根津駅と千駄木駅の中間地点にある。
写真は権現様近くにある名店の一部
〈芋甚のアベックアイスあんみつ〉
上からいつ行っても客が絶えない蕎麦処よし房(客席は15,6席と少く、天せいろは1800円)甘味処の芋甚は1910年代創業の老舗、並ばないと買えない根津のたい焼き(現在1匹210円)、参道入口にある金太郎飴。
〈参道入口の傍に建つ2007年に竣工された
日本医科大学大学院基礎研究所病棟
シンプルでシックな外観はアーティスティックな雰囲気を醸し出す〉
〈参道入口〉
左側の坂道は本郷台から権現様参道に至る坂で権現坂と呼ばれるが、通称S坂とも呼ばれている。此れは鴎外が51歳の時発表した小説「青年」のなかで「地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲している」の文章から来ており、旧制一高の生徒たちが「青年」を読み好んでこの坂をS坂と呼んだことによる。
鴎外は30歳の頃この近くの団子坂上に居を構えた。2階からは遥か品川沖の白浪が見えることから観潮楼と称し、大正11年(1922)60歳で没するまでこの地に住んでいた。
現在その跡地には平成24年(2012)11月に開館された文京区立森鴎外記念館が建っている。
この権現坂を登ると東大球場があり、そこは既に旧制一高寮歌向ヶ丘(岡)にそそり立つ五寮の健児意気高しとあるように向ヶ丘の台地であり、地震研究所、東大農学部の敷地である。野球場は通常観戦出来るが現在はコロナ下で門扉は閉鎖されている。
〈向ヶ丘台地〉
〈地震研究所〉
再び、権現様に戻り境内を散歩した。
根津権現は1900年前に日本武尊が千駄木に創祀したとされ、主祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命である。権現とは神仏混淆思想による本地垂迹説から八百万の神々が仏や菩薩の姿に化身し日本の地に現れたとの意である。明治政府の神仏分離令により権現という言葉は衰退した。
現在の社殿は宝永3年(1706)徳川5代将軍綱吉が、世継ぎの綱豊(6代家宣)の産土神ととして創建した。本殿、弊殿、拝殿を構造的に一体化させた権現造りである。
〈神橋と桜門〉
〈唐門〉
〈乙女稲荷神社〉
〈千本鳥居〉
〈社殿〉
5月初旬にも今年はどうか?と思い立って足を伸ばして来てみたが開花時期はとうに過ぎていた。
境内の石椅子に腰掛け、茶を飲みながら鯛焼きを頬張るのも一興かと。
余談になるが東京の三大鯛焼きは麻布の浪花屋総本店、四谷のわかば、日本橋甘酒横丁の柳家である。根津の鯛焼きは柳家から暖簾分けされた店。
何れの店でも一丁焼きの金型を使って1個ずつ焼き上げる天然ものである。
以下の躑躅(ツツジ)の写真は2018年4月中頃に撮影したもの。ツツジは約100種類、3000株に及ぶ。
春愁の かぎりを躑躅 燃えにけり
水原秋櫻子
西門を出ると根津谷から本郷通りに上る根津裏門坂通りであり、向かい側には日本医科大学附属病院がある。この裏門坂を上った処に嘗て漱石の“猫の家”があり、傑作「吾輩は猫である」はそこで執筆された。
〈裏門坂通りにある日本医科大学附属病院、現在新病棟建設中で完成は今年度末予定とある〉
〈坂上にある日本医科大学〉
1876年創設の済生学舎を前進とした、最も古い医学校の一つで済生救民を掲げて創学された。昭和27年(1952)に現在の学校法人日本医科大学となる。
〈この地区には古くからある甘味処が多い。附属病院側にある明治年36年創業の一炉庵〉
〈団子坂下交差点〉
不忍通りを更に千駄木方面へ向かうと、団子坂下交差点に出る。団子坂の由来はこの地に団子屋があったとか坂が急で悪路であるので雨が降ると団子のように転がってしまうからとか諸説ある。又七面坂、潮見坂とも云われる。
団子坂上には前述した鴎外が住んだ観潮楼や以前2019年3月当ブログで大杉栄について書いた折に触れたことのある女性解放運動の先駆者平塚らいてうが明治44年に立ち上げた青鞜社も嘗てこの地にあった。
〈柳通りにある甘味処「百」もも〉
甘味処であるがビーフカレーや野菜ラーメンもある。此処で昼食を摂った際、柳はいつ頃からあるのかと店主に訊ねたが「私にも分らず開店した頃は既に柳があった」との答えだった。
この先が三崎坂で坂を登ると谷中の台地となり、さくら通りを過ぎ、もみじ坂を下ると日暮里駅へと行き着く。
根津神社での休憩を挿んだ、約3時間程のゆったりとした一廻りの散歩について書いたが、何とも纏まりのない記述になってしまった。