シャンシャン見物顛末記!

<入場者は皆マスクはしているもののやや密状態と云える>

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<この附近からシャンシャンの写真を撮りたい人達が列をなす。後方は藝大>

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 <写真を撮るための再入場>

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<シャンシャンは1頭だけ公園口入口近くのゾーンに居る。入園するとシャンシャンに会いに行くようになっている。

観覧路は前後にあり、まず前の道を通る。ここでは写真を撮ることは出来ない。写真を撮る場合は再度後列に並ぶ。この後列が長蛇の列となる。再びシャンシャンに会うまで1時間以上要した。しかも二人の女性係員が「立ち止まらないで下さい」と連呼していて、非常に喧しい。おまけにパンダが出たり入ったりと動きが激しいので想うような写真は撮れない>

 

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<パンダグッズ販売所>

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 <グッズに興味がない花村はAがグッズを買い求めている間、近くの五重塔(正確には旧東叡山寛永寺五重塔、現在は東京都所有)に向かった。他に訪れる者は居ない。紅葉にはまだ時期が早かったようだ。周囲には水路が流れ、遊歩道があり一周できる。花村とAの関係は下記参照>

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インド象

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<園内の紅葉?>

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<白い熊>

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<イソップ橋を渡り不忍池方面へ向かいパンダゾーンへ>

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<錦鶏(キンケイ)と銀鶏(ギンケイ)。

いずれも雄でその豪奢な色調には驚かされる。

 パンダが住む高山地帯に棲息するキジ科の鳥で錦鶏は全長90㎝位で銀鶏は、それよりもやや大きい>

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 <パンダゾーンのリーリー>

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とある知人(仮にAとする)の要望で、花村は上野動物園に出向くことになった。幼少時に数度(その頃の記憶は既にないが)と、40歳の頃に一度園内にある五重塔周囲の桜を見に来たことがある。五重塔東照宮の参道から鉄柵越しに見ることは出来るが、周囲の桜を見るには動物園に入園しなければならない。花村はそのためにだけ入園料を払い、五重塔と桜の写真を撮った。

わざわざ桜を見るためにだけ入園するなどとは余程奇態な者とでも云えようか…

その頃パンダは居たのだろうが、動物には全く関心が無かったので、撮影後すぐさま退園した。動物には今も興味はない。Aの要望でもない限り動物園などにはもはや生涯無縁であったに違いない。

 

高崎在住のAから連絡を受けたのは2020年、10月末のことだった。その折りシャンシャンなるものが上野動物園のパンダの名であることを花村は初めて知った。同時にAがパンダ大好き人であることも初めて聞いた。花村が高崎で数年間勤務していたときAとは親交を結んでいたのだがパンダの話は当人からは勿論、巷間漏れ聞くことすらなかった。Aはシャンシャンにどうしても会いたいのだという。パンダには一向に興味がない花村だが、それを理由にAの願いを断る程朴念仁でもないから、一緒に行ってもらいたいというAの願いは直ちに了承した。Aとは年に数度不定期ではあったが電話やメールで連絡は取り合っていたから、久闊を叙すと迄は云えないものの顔を合わせるのは6年振り位になる。思いがけず懐かしい人と相まみえることは望外の喜びと云える。Aによればシャンシャンは3年前に日本で産まれたが、2020年末には中国に返還されてしまうので、是非今のうちに会っておきたいということだった。12月迄は既に3ヶ月を切っている。残された時間は僅かだ。

 上野動物園の入場は博物館や美術館同様、コロナ禍によって制限されている。申し込みは土曜日限定で、しかもホームページ上でしか受け付けていないらしい。Aはサイトにアクセスを試みたようだが「私はロボットではありません」というチェックボックスが表示されたことでパニックになってしまい、それ以上進めなくなったので自分で予約を取ることを断念した。

何度かログインに失敗したことが原因と思われる。Aからその旨電話があり予約は花村が取ることになった。ホームページ上には時間帯が15分刻みで表示されており、空いている希望日の時間帯にチェックを入れると整理券(この場合はQRコード)がスマホに配信される。これを入園時に提示し入園料を支払い晴れて入園できる。この時期団体予約は停止され、入園口も公園口1か所に限定されている。12月になれば返還も近いし、COVID19も猛威を振るうだろうから11月中頃を見計らい、空き時間を検索した結果11月10日、12時の時間帯が空いていたのでここに予約を確定した。

(2020年12月、COVID19禍で2021年5月迄返還延長が決定されたようだ。 你好…透けて見える中国の笑)

 

当日Aは高崎から北陸新幹線"はくたか"に乗車し上野に来ることになった。高崎からは50分弱で上野に到着するが余裕を持って10:12到着の電車にすると云う。高崎は上越新幹線北陸新幹線の分岐点になっていてどちらの新幹線も停車するなど交通の便は良く、商業文化施設が建ち並び、群馬一の人口を抱える。

 

花村は10時前に家を出て、リニューアルされた公園口改札でAを待った。僅かな風の揺らぎはあったが爽やかに晴れた晩秋の好日を予感させる朝であった。定刻に電車は着いた。

確か花村より6、7歳上であったが6年振りに逢ったAは当時と少しも変わらないように思えた。先ずは動物園の並び具合を確認するため、園の入口へ向かった。公園口からは一直線になっている。

15分毎に表示された看板を持つ係員と列の状況を見守る係員が数名配置されて居る。12:00~12:15分の看板は未だ出ていなかった。係員に聞いたところ「12時はまだまだですよ」とのことだった。1時間程待つようなので動物園傍にある草木に囲まれた新鴬亭で休憩することにした。1915年(大正4)創業だから、100年以上の歴史を有する甘味処である。因みに動物園の開園は1882年(明治45)に遡る。店内に他の客は居なかった。アルコールで消毒し席に着き、団子とあんみつを注文した。

 

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味はごく普通である。色も余り映えない。

“羽二重”も何度か食べたがやはり団子は

“茂助”と“言問”が断然美味い。

 

話を聞けばAは上野動物園には一度も来たことがないと云う。なのにパンダ好みが嵩じて、日本に居るパンダより先に中国旅行の過程で本場?のパンダを見るため北京動物園に立ち寄って来たという。ところが世界中にパンダをレンタルしている中国は、そのレンタル料金の一部をパンダ育成に充てるようになっているはずだが北京動物園のパンダゾーンは野放し状態で、とても管理が行き届いているとは思えないという印象を持ち些かがっかりして帰国したそうだ。

 上野動物園も3頭で毎年2億円程(動物園関係者によると$建てで約95万程で、名目は中国野生動物保護協会に対する保護活動費であるという。レンタル料とどう違うのか分からないが都税で賄われている。

 

12時の入園時間も迫っ来たので入口に向かうと、12:00~12:15分の看板が出ており既に4、5人が並んでいた。最初の入場には余り時間は掛からない。写真を撮るための再入場には上記写真にあるように1時間以上要した。

イソップ橋を渡り、パンダゾーンに行くとシャンシャン程ではないがやはり混雑していた。

動物園不忍口を出た頃は、閉園のアナウンスが流れていたから16:30位であったろうか。

辯天堂から不忍池の桜道を歩き、広小路交差点をわたり、上野駅近くの昭和レトロ満載の純喫茶ギャランに入った。濃いえんじ色の豪勢でゆったりしたソファーに座り紅茶を飲み、ケーキを食べながら過ぎ去った高崎の想い出話に花を咲かせた。

年甲斐もなく歌ったり、踊ったりしたこと、万座や水上温泉の話、有名な衝立岩を含む

20を超える一ノ倉沢の大岸壁の壮観、天神平から勢いで魔の山谷川岳に登ってしまったことなど… 。話は尽きなかった。

5時半にギャランを出、上野駅に向かった。

帰りの上越新幹線、上野発17:58の"たにがわ" がホームに到着した。

「楽しかった、12月迄にもう一度来たい」とAは言った。「いつでもいいよ」と花村は答えた。しかしそうは言ってみたものの胸の内では、恐らくウィルスの増殖状態をみれば2000年内に再び逢うことは叶わぬものとなるであろうと思った。それどころか今日が最後の再会となるかも知れない。花村はAが乗った“たにがわ”が見えなくなるまでホームに佇んでいた。

現在世界のSARS-CoV2感染者は既に8000万人を超え、早々に1億人を突破するだろうし、東京の感染者も増加の一途を辿り、12月か1月中には1日の感染者が千人を超える日が来るだろう。しかしこれはPCR検査を受けた結果の数値であり、未検査の人の方が圧倒的に多いはずであるから感染者は相当数になっている。もはや誰が何時罹患しても不思議ではない。

そのウイルスが猖獗を極める都心の只中に幸か不幸か花村は生き、老いさらばえながら暮らしている。人間 がウイルスに勝てると思うこと自体が傲慢だ。死は常に今そこにあるのだ。

アーメン! 

 

「これでいいのだ!」我が敬愛するバカボンのパパは先哲至理の教えをまさに知悉していたと云える。