奏楽堂は旧東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)の校舎として1890年(明治23年)に建設された。老朽化に伴い都外への移設構想も検討されたが、音楽界、建築界の反対により移設構想は頓挫。1983年(昭和58年)台東区が藝大より譲り受けて1987年(昭和62年)現在の上野公園内に移築、復元した。2014年(平成25年)より耐震補強を始め建物全体の保全修理を行い2018年(平成30年)にリニューアルオープンした。その後は一般のコンサートは勿論、藝大生や上野学園学生による定期的な演奏会が行われている。尚、藝大音楽学部内にも奏楽堂があり、此方でも演奏会は行われている。
今回、私が視聴したのは藝大大学院生による日曜特別コンサートであった。日時は2019年 9/29日曜日。曲目はモーツァルトのピアノ四重奏曲第一番ト短調KV478とフォーレのピアノ四重奏曲第一番ハ短調OP15の2曲。
前売りは無く、500円で当日券を購入し座席は先着順で好きな場所を取れる。
いずれも充実した内容の曲であるので、著名アーティストによる演奏ではないものの混雑が予想された。なので念のため奏楽堂に確認したところ2時開演、1時半開場後チケット販売なので1時半に到着すれば充分間に合うとのことだった。が少し不安だったので開場40分前の12時50分には着くようにした。
案に違わず聴視客は玄関前から4列の行列を成して門扉の外まで及んでいた。
玄関から門扉まではそう長い距離ではなかったものの、既にこれ程の行列が出来ているのかと思い些か驚いた。
幸い3列目の席を取ることが出来き、ひとまず安心したが開演直前には満席になっていた。
1曲目はモーツァルトの宿命的なト短調(G-moll)で1785年、彼が29歳の時作曲された。
ピアノ協奏曲20・21・22番、ハイドンセット等傑作が次々と生れた時期で、フィガロの結婚が作曲された前年にあたる。
モーツァルトの曲の主題は殆ど長調であり、短調は全作品の5~6%程しかない。
交響曲について云えば、曲番号が付いている41番までの交響曲のうち短調は第25と第40番の2曲だけで、いずれもト短調である。曲番号の付いていない交響曲も十数曲あるが短調は偽作と云われているK16aイ短調1曲のみであり、この全くモーツァルトらしくないオーデンセを加えても全3曲しかない。
オーデンセを入れると3÷57×100=5.26%
偽作と云われるオーデンセを省くと25番と40番しかないので2÷57×100=3.5% こんな計算はどうでもいいのだがmoll系の少なさが実感出来る。
ト短調に関して云えば前述の交響曲2曲以外で主だったものは数曲の小品を除けば今回のピアノ四重奏曲第1番と痺れるような名曲弦楽五重奏曲第4番(KV516)の4曲のみだ。
G-mollの宿命性とはおそらく、日本においては小林秀雄のエッセイ「モーツァルト」から来ているものと思われるが、この評論が雑誌創元に発表されたのは1946年(昭和21年)であり、終戦後の混乱期で物資も乏しく、レコードや資料も乏しかった時代のことであるが、ゲーテやアンリ・ゲオン、モーツァルトの手紙等を通しながらモーツァルトの音楽を的確に捉えていると思われる格調高い評論である。日本ではモーツァルトを論ずる時、この評論を避けては通れない筈だ。その他モーツァルト論は多数執筆されており、素人の私が読んだ本だけでも、吉田秀和「モーツァルト」「モーツァルトの手紙」、田辺秀樹「モーツァルト」、海老沢敏「モーツァルトを聴く」、池内紀「モーツァルト考」等数冊あるが小林秀雄の評論が最も印象深い。
冗談を言ったり、時には下品な言葉を使い、会う人と陽気に接する天真爛漫なモーツァルトの明るい表情の中に一瞬垣間見せる死の淵を見据えているような悲しみを湛えた眼差し。その垣間見せる一瞬の深淵が短調の響きとなって奏でられる。弦楽五重奏曲ト短調、ロンドイ短調、幻想曲ニ短調、そしてレクイエムニ短調等。この人の他に誰か聴く者の内腑を抉るような曲が創れようか。
「僕はいつもベッドにつく度に、まだ若いと言ってもひょっとすると自分はもう明日は居なくなっているかもしれない」
といつも考えていたモーツァルト。
前置きが長くなってしまったがピアノ四重奏曲第1番ト短調KV478は、
友人でもある楽譜出版者ホフマイスターの依頼によるものであった。しかし楽譜を受け取ったホフマイスターは「この曲は難し過ぎ一般受けしないから書き直して欲しい」とモーツァルトに再考を促した。
結果としてモーツァルトは曲を書き直すことはせず、ホフマイスターとの契約の方を打ち切った。おそらくモーツァルトはそれ以前には確立されていなかった(ハイドンにもない)ピアノ四重奏曲という新たな分野を作りたかったのではないかと云われている。
ピアノ四重奏曲は今回演奏されるkV478と第2番変ホ長調KV493の2曲しか残されていないが個人的には今回演奏されるKV478の方が断然好きだ。
第1楽章アレグロ
唐突とも思える三弦の響きに呼応して、軽快でやや哀調を帯びたピアノの調べが続く。味わい深いフレーズの繰り返しが聴くものを感動させる。
第2楽章アンダンテ
長調に転じてゆったりとしたピアノの調べと三弦の緩徐楽章で、まるで麗かな春の陽だまりの中での優雅な戯れであるかのようだ。
第3楽章ロンド
軽やかで流れるようなリズムでピアノはほゞ間段なく続き、弦も対等に呼応する。途中展開部で第1楽章の愁いを帯びた調べを感じさせながらも最後は長調の明るさに戻る。
コンサートの2曲目はフォーレのピアノ四重奏曲第1番ハ短調OP15で、1876~1879年フォーレ31~34歳の時の作品だが、最終章に懸念があるとの指摘を気にしてその改訂を行ったため決定稿の完成は全7年の歳月をかけた1883年のことであった。翌年フォーレ自身のピアノ演奏により初演された。
フォーレは「パブァーヌ、シチリアーナ、夢のあとに」等甘美なメロディーの作曲家として有名だが、ピアノ四重奏曲をモーツァルト同様2つ作曲している。
私の好みはどちらかと云えば四重奏曲ではなく官能的な響きをもつピアノ五重奏曲の第1番だがこのピアノ四重奏曲第1番も重厚な名曲と云えるらしい。
第1楽章アレグロ
やや重いが伸びやかな曲調で、ピアノの和音に伴う弦の力強いオクターブ・ユニゾンが曲の主題を印象付ける。
第2楽章スケルツオ
ピアノの軽く走るような響きに弦のピッツィカートが交錯するリズミックな楽章。
第3楽章アダージョ
メランコリックなピアノで始まり、チェロの重く暗い雰囲気が重なる。深い愁いを湛えた抒情的で胸迫る楽章。
第4楽章アレグロ
ピアノの流れるような和音に乗って、弦が打ち寄せる波のようにリズミカルな音色を奏でる。フィナーレを飾るに相応しい華麗な楽章とも云えようか。
私はフォーレには殆ど関心がないが、些か退屈気味な長いこの曲の全楽章を倦むことなく傾聴させた藝大大学院生による演奏は素晴らしいと思った。
他の視聴者も同様の感想を抱いたのであろう。
ブラボーの声と万雷の拍手が奏楽堂に鳴り響いた。