湯島の白梅

湯島の白梅(境内)
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天神石坂 (青い瓦斯燈が見える)
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境内の梅花は2月半ば過ぎにはほぼ満開だったが男坂女坂のそれはまだ蕾の状態だった。

その蕾も3月10日、そぼふる雨のなかで

しっとりと綻んでいた(写真は女坂)

天神様には本郷から広小路に通じる38段の

急坂天神石坂(男坂)とその隣にある33段の

緩かな女坂、切通しに出る夫婦坂の三つの

石段がある
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梅木の名 “思いのまま”
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天満宮正面
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境内の白梅
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梅まつり
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夫婦坂 (春日通り切通坂より)
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~青い瓦斯燈  境内を~

~出れば  本郷切通し~

春日通りの切通し坂は、この昭和になって

唄われた“湯島の白梅”でその名が知られるようになった。

お蔦と早瀬主税の湯島境内別れの場面は泉鏡花婦系図」の原作には無かったものだったが、明治41年新富座にて“湯島境内別れの場面”として脚本家や主演者により脚色され上演された。原作者泉鏡花は此れが気に入ったのか、後に一幕物「湯島の境内」として脚本化し明治座で上演された。

主税が元芸者だったお蔦と世帯を持っていることが師匠に発覚し、恩ある師の言葉に背けなかった早瀬主税はお蔦に別れを告げる。

 

主税「月は晴れても心は暗闇(やみ)だ」

お蔦「いい月だわ、心が暗闇だって?

          そりゃ世間は闇でも何でも構いません  

           わ、どうせ日陰の身体ですもの。

           えっ 別れてくれって...

           冗談じゃなさそうね...貴方

           切れろ、別れろは芸者のときに

           云う言葉。私にゃ死ねと云って

           下さい。蔦には枯れろとおっしゃい

           ましな」

                                                  

婦系図尾崎紅葉の「金色夜叉」、徳富蘆花の「不如帰」と並び明治三大メロドラマとも云われ、小説の内容はともかく其々の唄や台詞は人口に膾炙された。