六義園の紅葉

六義園は五代将軍徳川綱吉側用人

柳沢吉保が築園した。

六義(むくさ)は古今和歌集に由来し、歌に詠まれたような紀州和歌浦の美しい景観を庭園に再現するよう試みた回遊式築山泉水で躑躅茶屋、滝見茶屋、渡月橋臥龍石、出汐湊

等見所が多く、藤代峠からは庭園が一望出来る。

幕末の混乱で荒廃した、この地一帯を維新後三菱創業者岩崎彌太郎が買上げ庭園の整備が始まり、その整備事業は弟彌之助、長男久彌に引き継がれほぼ現在の形を造り上げた。1905年(明治38年)には日露戦争から凱旋した連合艦隊司令長官東郷平八郎を始めとする6000人の将兵を岩崎家が招待し一大戦勝祝賀会を六義園を中心として催した。これにより非公開であった六義園は一般にも知られるところとなった。

その後岩崎家は1938年(昭和13年)庭園を

東京市に寄贈した。

 

正門
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正門入って直ぐの大きな枝垂桜前
で行われた大道芸、江戸太神楽
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内庭大門
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躑躅茶屋
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渡月橋


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藤代峠から
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滝見茶屋附近
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もみじ茶屋
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茶処心泉亭
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