アークヒルズ音楽祭2019秋

午後はコンサート三昧の予定でいた。

都合良く仕事は時間内に終わったので、京野はまず新宿の小田急百貨店へ向かった。そこで14時から開演されるマンハッタンミニコンサートを聴き、終了後サントリーホールへ向かい、アークヒルズで行われるスクリーンコンサートの実行中継を観る予定だった。新宿へは何とか間に合った。

小田急マンハッタンミニコンサート>
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今回はピアノとヴァイオリンの演奏で、演奏者はヴァイオリン西浦詩織さんとピアノは

丸木かすみさん。曲目はミニコンサートでもあるし演奏時間は全体で約30分位である。その後演奏家達と客との交流の場がある。時間の制約から小品または曲目のうちのひとつ楽章のみの演奏が多い。今回はチャイコフスキーの”懐かしい土地の想い出”からと”モーツアルトのヴァイオリンソナタK304二楽章“、”ピアソラのイベルタンゴ“、そして最後は”モンティのチャールダッシュ“という曲だった。私は不覚にもこの最後の曲が分からなかった。演奏前に紹介を受けたはずだが知らない作曲者なので記憶に入らなかった。演奏後改めて質問した。「作曲者は誰で、クラシックなのですかと」それによるとヴァイオリン演奏上は可なり有名な曲で、様々な演奏者の演奏がYouTubeに挙げられている。イタリアの作曲者でヴィットーリオ・モンティ(1868~1922)の曲で、曲名はチャールダッシュという。

モンティはこの一曲のみで今に演奏されるまでに至っている。哀愁を帯びた軽快なメロディーが京野の好みに合った。西浦さんの乗りに乗った演奏が忘れられない。

 

小田急百貨店を出て、丸ノ内線に乗り、四ツ谷南北線に乗り換え六本木一丁目で降り、カラヤン広場へ向かった。10/5(土)のサントリーホールでの公演は17:30~がヴァイオリン川久保賜紀、チェロ遠藤真理、ピアノ三浦友里枝トリオによる、ラベルの亡き王女のためのパヴァーヌマ・メール・ロア(いずれもピアノ三重奏曲版で)・ピアノ三重奏曲イ短調。の三曲であった。(サントリーブルーローズホール)

その後が指揮ラクリン、ヴァイオリン三浦文彰、ピアノ辻井伸行&ARKシンフォニエッタによる、モーツアルト:ディベルトメントニ長調K.136、バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲に短調BWV1043、ショパン:ピアノ協奏曲協奏曲第1番ホ短調OP11(弦楽合奏版)がサントリ(サントリー大ホール)で行われる。チケットは早々に売り切れており、会場には入れないが生演奏の模様がカラヤン広場のビュースクリーンに映し出される。

広場のもかなり座席が用意され、こちらの方は全て自由席だが、席を離れると他の客に取られてしまうので、京野は広場近くのヒルズカフェで軽食を求め、座席を取った。

カラヤン広場に着いたのは15:30頃であったが、17:30の開演まで前年度の演奏が放映されていた。ドヴォルザーク弦楽四重奏曲アメリカ」とシューベルトピアノ五重奏曲「ます」であった。いずれも有名な曲であるが「アメリカ」は未だしも、「ます」などは何回聞いてもその良さが分からない。総じてロマン派の音楽は退屈だ。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調OP64を除いては。

サントリーARKヒルズコンサート>
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開演間近になると、舞台で曲目、演奏者の紹介が行われ、演奏が開始された。

夕方になり風が出てきたので京野はカーディガンを羽織った。何とはなく聴いていたが後半バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲が演奏されたときは、「安心感というかやはりバッハはいいな」と感じた。最後はショパンのピアノ協奏曲第1番とあるが、ショパンには2番目のピアノ協奏曲である。2番より有名で良く演奏されるが、2番も悪くない。

しかしいずれも感動を誘う迄ではない。

それよりもアンコール曲でショパン夜想曲嬰ハ短調20番遺作が演奏されたことは、何よりの収穫だった。京野はショパンの曲の中ではこの夜想曲1番と20番遺作が悲しいほど好きなのだ。演奏が終わったのは21時前位であったろうか。電車の移動が若干あったにせよ実に京野は14~21時迄の7時間音楽を聴いていたことになる。

ショパンの遺作が耳に残る中六本木を後にした。

 

 

 

 

 

 

シャンシャン見物顛末記!

<入場者は皆マスクはしているもののやや密状態と云える>

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<この附近からシャンシャンの写真を撮りたい人達が列をなす。後方は藝大>

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 <写真を撮るための再入場>

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<シャンシャンは1頭だけ公園口入口近くのゾーンに居る。入園するとシャンシャンに会いに行くようになっている。

観覧路は前後にあり、まず前の道を通る。ここでは写真を撮ることは出来ない。写真を撮る場合は再度後列に並ぶ。この後列が長蛇の列となる。再びシャンシャンに会うまで1時間以上要した。しかも二人の女性係員が「立ち止まらないで下さい」と連呼していて、非常に喧しい。おまけにパンダが出たり入ったりと動きが激しいので想うような写真は撮れない>

 

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<パンダグッズ販売所>

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 <グッズに興味がない花村はAがグッズを買い求めている間、近くの五重塔(正確には旧東叡山寛永寺五重塔、現在は東京都所有)に向かった。他に訪れる者は居ない。紅葉にはまだ時期が早かったようだ。周囲には水路が流れ、遊歩道があり一周できる。花村とAの関係は下記参照>

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インド象

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<園内の紅葉?>

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<白い熊>

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<イソップ橋を渡り不忍池方面へ向かいパンダゾーンへ>

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<錦鶏(キンケイ)と銀鶏(ギンケイ)。

いずれも雄でその豪奢な色調には驚かされる。

 パンダが住む高山地帯に棲息するキジ科の鳥で錦鶏は全長90㎝位で銀鶏は、それよりもやや大きい>

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 <パンダゾーンのリーリー>

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とある知人(仮にAとする)の要望で、花村は上野動物園に出向くことになった。幼少時に数度(その頃の記憶は既にないが)と、40歳の頃に一度園内にある五重塔周囲の桜を見に来たことがある。五重塔東照宮の参道から鉄柵越しに見ることは出来るが、周囲の桜を見るには動物園に入園しなければならない。花村はそのためにだけ入園料を払い、五重塔と桜の写真を撮った。

わざわざ桜を見るためにだけ入園するなどとは余程奇態な者とでも云えようか…

その頃パンダは居たのだろうが、動物には全く関心が無かったので、撮影後すぐさま退園した。動物には今も興味はない。Aの要望でもない限り動物園などにはもはや生涯無縁であったに違いない。

 

高崎在住のAから連絡を受けたのは2020年、10月末のことだった。その折りシャンシャンなるものが上野動物園のパンダの名であることを花村は初めて知った。同時にAがパンダ大好き人であることも初めて聞いた。花村が高崎で数年間勤務していたときAとは親交を結んでいたのだがパンダの話は当人からは勿論、巷間漏れ聞くことすらなかった。Aはシャンシャンにどうしても会いたいのだという。パンダには一向に興味がない花村だが、それを理由にAの願いを断る程朴念仁でもないから、一緒に行ってもらいたいというAの願いは直ちに了承した。Aとは年に数度不定期ではあったが電話やメールで連絡は取り合っていたから、久闊を叙すと迄は云えないものの顔を合わせるのは6年振り位になる。思いがけず懐かしい人と相まみえることは望外の喜びと云える。Aによればシャンシャンは3年前に日本で産まれたが、2020年末には中国に返還されてしまうので、是非今のうちに会っておきたいということだった。12月迄は既に3ヶ月を切っている。残された時間は僅かだ。

 上野動物園の入場は博物館や美術館同様、コロナ禍によって制限されている。申し込みは土曜日限定で、しかもホームページ上でしか受け付けていないらしい。Aはサイトにアクセスを試みたようだが「私はロボットではありません」というチェックボックスが表示されたことでパニックになってしまい、それ以上進めなくなったので自分で予約を取ることを断念した。

何度かログインに失敗したことが原因と思われる。Aからその旨電話があり予約は花村が取ることになった。ホームページ上には時間帯が15分刻みで表示されており、空いている希望日の時間帯にチェックを入れると整理券(この場合はQRコード)がスマホに配信される。これを入園時に提示し入園料を支払い晴れて入園できる。この時期団体予約は停止され、入園口も公園口1か所に限定されている。12月になれば返還も近いし、COVID19も猛威を振るうだろうから11月中頃を見計らい、空き時間を検索した結果11月10日、12時の時間帯が空いていたのでここに予約を確定した。

(2020年12月、COVID19禍で2021年5月迄返還延長が決定されたようだ。 你好…透けて見える中国の笑)

 

当日Aは高崎から北陸新幹線"はくたか"に乗車し上野に来ることになった。高崎からは50分弱で上野に到着するが余裕を持って10:12到着の電車にすると云う。高崎は上越新幹線北陸新幹線の分岐点になっていてどちらの新幹線も停車するなど交通の便は良く、商業文化施設が建ち並び、群馬一の人口を抱える。

 

花村は10時前に家を出て、リニューアルされた公園口改札でAを待った。僅かな風の揺らぎはあったが爽やかに晴れた晩秋の好日を予感させる朝であった。定刻に電車は着いた。

確か花村より6、7歳上であったが6年振りに逢ったAは当時と少しも変わらないように思えた。先ずは動物園の並び具合を確認するため、園の入口へ向かった。公園口からは一直線になっている。

15分毎に表示された看板を持つ係員と列の状況を見守る係員が数名配置されて居る。12:00~12:15分の看板は未だ出ていなかった。係員に聞いたところ「12時はまだまだですよ」とのことだった。1時間程待つようなので動物園傍にある草木に囲まれた新鴬亭で休憩することにした。1915年(大正4)創業だから、100年以上の歴史を有する甘味処である。因みに動物園の開園は1882年(明治45)に遡る。店内に他の客は居なかった。アルコールで消毒し席に着き、団子とあんみつを注文した。

 

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味はごく普通である。色も余り映えない。

“羽二重”も何度か食べたがやはり団子は

“茂助”と“言問”が断然美味い。

 

話を聞けばAは上野動物園には一度も来たことがないと云う。なのにパンダ好みが嵩じて、日本に居るパンダより先に中国旅行の過程で本場?のパンダを見るため北京動物園に立ち寄って来たという。ところが世界中にパンダをレンタルしている中国は、そのレンタル料金の一部をパンダ育成に充てるようになっているはずだが北京動物園のパンダゾーンは野放し状態で、とても管理が行き届いているとは思えないという印象を持ち些かがっかりして帰国したそうだ。

 上野動物園も3頭で毎年2億円程(動物園関係者によると$建てで約95万程で、名目は中国野生動物保護協会に対する保護活動費であるという。レンタル料とどう違うのか分からないが都税で賄われている。

 

12時の入園時間も迫っ来たので入口に向かうと、12:00~12:15分の看板が出ており既に4、5人が並んでいた。最初の入場には余り時間は掛からない。写真を撮るための再入場には上記写真にあるように1時間以上要した。

イソップ橋を渡り、パンダゾーンに行くとシャンシャン程ではないがやはり混雑していた。

動物園不忍口を出た頃は、閉園のアナウンスが流れていたから16:30位であったろうか。

辯天堂から不忍池の桜道を歩き、広小路交差点をわたり、上野駅近くの昭和レトロ満載の純喫茶ギャランに入った。濃いえんじ色の豪勢でゆったりしたソファーに座り紅茶を飲み、ケーキを食べながら過ぎ去った高崎の想い出話に花を咲かせた。

年甲斐もなく歌ったり、踊ったりしたこと、万座や水上温泉の話、有名な衝立岩を含む

20を超える一ノ倉沢の大岸壁の壮観、天神平から勢いで魔の山谷川岳に登ってしまったことなど… 。話は尽きなかった。

5時半にギャランを出、上野駅に向かった。

帰りの上越新幹線、上野発17:58の"たにがわ" がホームに到着した。

「楽しかった、12月迄にもう一度来たい」とAは言った。「いつでもいいよ」と花村は答えた。しかしそうは言ってみたものの胸の内では、恐らくウィルスの増殖状態をみれば2000年内に再び逢うことは叶わぬものとなるであろうと思った。それどころか今日が最後の再会となるかも知れない。花村はAが乗った“たにがわ”が見えなくなるまでホームに佇んでいた。

現在世界のSARS-CoV2感染者は既に8000万人を超え、早々に1億人を突破するだろうし、東京の感染者も増加の一途を辿り、12月か1月中には1日の感染者が千人を超える日が来るだろう。しかしこれはPCR検査を受けた結果の数値であり、未検査の人の方が圧倒的に多いはずであるから感染者は相当数になっている。もはや誰が何時罹患しても不思議ではない。

そのウイルスが猖獗を極める都心の只中に幸か不幸か花村は生き、老いさらばえながら暮らしている。人間 がウイルスに勝てると思うこと自体が傲慢だ。死は常に今そこにあるのだ。

アーメン! 

 

「これでいいのだ!」我が敬愛するバカボンのパパは先哲至理の教えをまさに知悉していたと云える。

 

あかりパーク2020 上野恩賜公園


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近々上野動物園へ行くことになったので、動物園の現況を見ながらその界隈を歩いてみた。

噴水広場では再生エネルギーを使った様々な灯りを紹介するイベントが行われていた。

17時からは噴水広場や東照宮でライトアップ行われるという。

暫く工事中だった公園口もすっかりリニューアルされていた。2階には4件程のレストランが新しく出来ていた。

 

<リニューアルされた公園口改札>
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<木目調の2階展望テラス>
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<抹茶スイーツと京都うどんを提供する

和カフェ“やなぎ茶屋”に入り、ライトアップまでの時間を潰すことにした>
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九条ねぎ入りのきつねうどんは炊き込みご飯付きで、シンプルでさっぱりした食感は

好ましい味だ。米も美味>
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<デザートのバニラ抹茶ソフトクリーム>
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<公園口正面>
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<動物園の現況、日曜日だったが混雑はしていないようだ>
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<噴水広場のライトアップ>
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上野東照宮参道>
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東照宮ライトアップ>
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五重塔ライトアップ>
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恩賜公園内の灯籠>
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2020年、最初のライトアップ見学だった。

神宮外苑の銀杏並木

 数年ぶりに外苑の銀杏並木を見ようと思い立ち、上野から銀座線に乗り外苑前駅で降りた。青山通りから聖徳記念絵画館前までの一直線300mを左右2列にわたって並ぶ146本の銀杏並木の景観はいつ見ても見事なものだ。神宮は内苑と外苑より構成されている。

外苑は青山練兵場の敷地跡に心身鍛錬、芸術文化の拠点として外苑の象徴でもある聖徳記念絵画館を中心に創建されることとなり、大正7年(1918)に地鎮祭が行われ、創建後の大正15年(1926)に明治神宮に奉献された。練兵場であった頃は榎の西前方に設けられた御座所で明治帝観閲による観兵式が行われている。

青山通りから聖徳記念館へ向かって、右側にはテニスコート神宮球場、左側には明治記念館憲法記念館)、明治帝御観兵榎がある。一直線の銀杏並木の先はU字路に分かれ、U字を上部で結ぶような容で聖徳記念絵画館が建てられている。記念館には幕末から明治の世の出来事を絵画化したものが年代順に展示されている。

銀杏並木は外苑の創建に先立つ大正12年(1923)に植栽された。絵画館に近づくにつれ低い銀杏が植栽され、遠近法により絵画館は実際の距離より遠く見えるようになっている。

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<この時期、3件あるレストランカフェはどこも混雑している>

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青山通り方面から聖徳記念館を眺める>

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<聖徳記念館方面から青山通り方面を望む>

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銀杏並木から御観兵榎(現在2代目)を見て外苑東通りの権田原交差点を少し進むと右側に明治記念館入り口がある。明治記念館は結婚式場として有名だが、元々は赤坂仮皇居の御会食場として建てられ、この場所で明治憲法の審議がなされたので憲法記念館とも呼ばれる。静謐な佇まいの中にも、本館内部は壁一面に花鳥模様が描かれており、豪華な雰囲気も味わえる。自由に見学出来、レストランもあるので食事も楽しめる。

明治記念館憲法記念館)>

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青山通り

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伊藤忠ガーデンのライトアップ>

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2020年は新型ウィルスの影響でいちょう祭とライトアップは中止となった。

 

空・高層ビル・秋桜~浜離宮恩賜庭園

好天に誘われて、久し振りに浜離宮庭園を訪れた。日比谷線築地駅で下車し、もんぜき通りを歩き、右に国立がんセンター浜離宮ホールを見ながらゆっくり歩いて15分程で庭園入口の大手門に到着した。

築地本願寺交差路附近〉
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〈恩賜庭園大手門〉

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秋桜の見頃は9月中旬から10上旬と聞いていたので、もう花の盛りは過ぎたものと思っていたが、少し枯れつつありながらも、まだ充分な彩りを見せ、秋の青空に映える高層ビル群とキバナコスモスとのコントラストは見事な美しさを放っていた。


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秋桜を見た後庭園を一周した


水上バス発着場〉
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灯台跡〉
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〈新樋の口山山頂から〉

レインボーブリッジや臨海副都心を一望出来る。

近くには将軍お上がり場がある。鳥羽・伏見の戦いで、薩長軍の十倍の兵力を持ち、装備もフランスの後押しで、薩長軍に増す近代兵器を持っていたにもかかわらず、慶喜の指揮系統は無いに等しく、各部隊の指揮官も妄信的に幕府の権威にしがみつき、各所で失態を繰り返し勝てる戦を捨てた。

慶喜大阪城から密かに脱出し、この付近から江戸の地を踏んだことからこの名がある。

ここは既に東京湾なのである。

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〈中島の御茶屋に通じるお伝い橋〉
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〈中島の御茶屋と抹茶和菓子〉
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僅かな風の揺らぎがあった。

茶屋自体が右から左に動いているような錯覚を感じた。やがてそれは池面に浮かぶ数枚の小さな木の葉が潮風のいたずらで浮遊しているからだと気付いた。

 

茶屋が浮かぶ潮入の池は東京湾から海水を引き入れ、湾の水位の干満で水の出入りを調整し池の趣を変えていると云う。

 

<お伝い橋>

約120 mに及ぶ総檜造りで小の字島と中島を結んでいる
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<築地でのランチ>

海底をイメージしたレストラン
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料理を運んで来た20代の女性店員に
撮ってきたばかりのスマホの写真を見せた。

「えぇー、めっちゃ綺麗ですね。どこなんで    すか」

「すぐそこの浜離宮だよ」

「私、今青い空に凄くはまってるんですよ、    また来て教えて下さい。ご飯も味噌汁も

  お替わり自由ですから。食後にコーヒー

  とか アイスクリームはいかがですか」  

「いや、お茶でいいよ」

  と埒もない対話。

 

元三島神社の元日詣

2月には梅の花が咲き、

春になると石段の両側の

桜が美しく開花する神社。
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写真の輪を左右左と3回潜って廻ると厄除けになると云われる。

生きてること自体厄な奴も居る。なので3回廻って石段を登り賽銭を入れ心を込めてしっかりと参拝した。

さて今年厄はとれるか。  2020.1.1 

西日暮里の女...

西日暮里駅は山手線29駅の中で49年の長きに渡り、最も新しい駅だった。綾瀬~代々木上原間の営団地下鉄千代田線開通時の1969年(昭和44年)、地下鉄千代田線の西日暮里駅が誕生したことを受け、その翌々年1971年(昭和46年)に当時国鉄であった山手線の新駅「西日暮里駅」が千代田線との乗換え駅として開業した。

既存の日暮里駅を乗換え駅とする案もあったが乗換えるまでの距離が長く、国鉄もこの西日暮里駅案で決着した。そのためかJR西日暮里駅から日暮里駅までの距離は山手線各駅間で最も短く500m程しかない。また反対側の田端からの距離は800mで、田端駅から来る電車はホームで見ているとかなりの上昇勾配で西日暮里駅に迫ってくる。

西日暮里駅以外の山手線各駅は既に明治、大正時代に開業されていた。この頃、日本鉄道は国有化されてはいたが、所謂国有鉄道国鉄」として出発するのは独立採算制の事業形態として認可される1949年(昭和24年)の事である。従って西日暮里駅は「国鉄」が開業させた山手線唯一、昭和時代唯一の駅である。その後1987年(昭和62年)国鉄は民営化されJR(Japan Railways)となった。



駅ホームから道灌山通りを見ると切通しになっており、右側の開成高校(余計な話だが開成高校は東大合格者数39年連続1位の名門進学校である。但し超難関の東大、京大、大阪大等の各医学部への合格者は他の学部合格者に較べれば比較的少ない。これ等の最難関医学部への合格者数は灘高が圧倒している)の正門脇の「ひぐらし坂」を登って行くと道灌山の台地となり、道幅は狭いが閑静な住宅街が建ち並ぶ。この坂を登りきり、学園のグラウンドを過ぎると日暮里の街並みやスカイツリーまで見渡せる高台となる。

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諏訪台方面へは道灌山台地から、歩道橋で西日暮里公園に直接繋がっている。西日暮里駅からは駅改札を左に出て、西日暮里公園に沿って登るか、右に出て諏訪坂ガードをくぐり抜け、屈折した地蔵坂を登ってゆく。彼岸の頃はその土手に曼殊沙華(別名、地獄花、死人花、幽霊花)の鮮やかな赤が忽然と現れる。

諏訪台は、おすわさまと呼ばれる日暮里谷中の鎮守の森「諏方神社」が鎮座し、静謐で厳かな佇まいを見せる。又隣接する諏方神社別当浄光寺の一面の雪景色は格別の趣があり雪見寺とも呼ばれていた。

道灌台・諏訪台から見下ろす光景は風光明媚な場所として知られ、茶店も並び、江戸の頃は多くの人々が集い、花見や虫聴といった行事や、或いは遠く筑波・日光連山まで見通せるその展望を楽しんだ。

また、少し歩を進めると今はビル群が建ち並び富士山の全景を見ることは出来ないが、嘗ては山の全貌を眺めることが出来た富士見坂がある。

「日暮里」の名の由来である1日遊んで暮らして居ても飽きない、日暮しの里と云われたのは今の日暮里地域ではなくこの西日暮里周辺のことである。

 

桃さくら鯛より酒のさかなには 

みところ多き ひくらしの里       ( 十返舎一九)

 

山手線で最も新しい駅、西日暮里 !

ところが時代の波には逆らえず、西日暮里駅にも悩み悶える時期が到来することとなった。半世紀近く保ってきたその座を明け渡す日が近づく。

2020年(令和2年3月)隈研吾設計の高輪ゲートウェイ駅が山手線最新の駅舎として開業することになったからだ。

西日暮里駅のぼやきが始まった。階段壁面の至るところにポスターが貼られる。

「48年の末っ子歴に終止符」

「このスタンプ押しておくなら今のうち」

「これからは普通の駅にもどります」

またどこかの議員の発言を捩ったというか、そのままのようだが

「二番目じゃダメなんでしょうか」等

自虐的とも取れる様々な嘆き節ポスターが階段壁面に貼られ話題にもなった。

この駅で乗換えする度、これらのポスターを見るのだが、この駅が山手線で最も新しい駅であることなど余り知られていないだろうし、今後2番目になろうとなるまいと大方どうでもいいことであろうが、無駄な抵抗を試みる職員の“駅への想い”は分かるような気がする。どうにもならないことだが49年間守ってきた地位を奪われるとなると、只黙って見過ごす訣にも行かないのだろう。駅を利用する身として、何となく妙な哀感を共にした紋太もポスターを見る度薄笑いしたものだ。

 

コンコースのエスカレーター
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山手線で一番新しい駅でも半世紀も経てば老朽化は避けられない
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前置きが長くなってしまったが物語は、この駅が山手線新駅一番目の座を奪われる前年のある6月の土曜日のことに始まる。

紋太はいつものようにマンションを出て勤務先へ向かった。雨こそ降っていなかったが、この時期らしい鬱淘しい梅雨(つゆ)空以外に何ら変わり映えの無い1日の始まりだった。

山手線を下り、千代田線乗換えのため西日暮里駅の長い下りエスカレーターに足を乗せた瞬間、ふと柔らかい気配を背後に感じた。それは続々と列を成して乗り込んでくる人々の気配とは明らかに異なっていた。紋太は振り向きたいその強い誘惑に抗い難く後ろを見た。

20代後半であろうか、その女は華やかな微笑みを浮かべ「おはようございます」と紋太に挨拶した。

花柄の薄いベージュのワンピースにウエストマークをあしらった姿はいかにも通勤する清楚な女性社員の装いだった。

女の余りにも馴れついた挨拶に"どこかで会ったのかな"と訝しげな感情を抱きつつ、あれこれ想いを巡らしてみたがやはり覚えはない。しかしその女は「何処かで会った?」という紋太の問い掛けに何故か頷いた。紋太は迷い焦った。常ならば通り過ぎて行く出会いでしかなかっただろうが今回は只通り過ぎるわけにもゆくまいと思った。

...彼女の余りに人懐かしい微笑み故に...

千代田線のホームで取敢えず話しをすることにした。女は千駄木に行くと言ったので紋太の勤務先とは反対方面の行き先である1番ホームで話をした。

女はLINEで連絡を取りたいと云うようなことを言った。そのたどたどしい日本語の口調からすると恐らく中国人であろうことが窺えた。

女の真意は分からないが、何某かの思惑があって接してきたのであろう。紋太は自分のスマホのLINEQRコードを女のスマホに写し撮って貰えば一瞬で済むことだから、それ位はしておいても差し支えは無かろうと思った。だが、いざとなるとそのQRコードが何度操作しても出てこない。

「何か俺相当焦ってるな」

「何で出ない、いつもやっているのに」

「ホーム画面から出てこない、何てことだ」

大げさに言えばこの時の紋太のぼやきは西日暮里駅員のそれより、はるかに切羽詰まっていた。

焦る程あちこち弄りまわして余計解からなくなる。QRQRコードだ。トヨタの部品会社デンソー囲碁から想像し、絵や文字の比率まで計算し発明したQuick Responseという素晴らしい技術だ。

バーコードは1次元コードで横に20文字程度しか認識しない。しかもこのバーコードを発想した者達の組織は3年毎に更新料を取っている。只更新させることだけで莫大な収益を得ている。

それに比べ2次元QRコードは7000文字以上認識し、特許は取得したが使用量は無料で開放した。四角の隅にある◻️を右端下の◻️だけ抜いて上部がどこか示している。これはビルの屋上からその全景を見ることを想定してヒントを得たという。やがてトヨタの部品検索技術はスマホの発展に伴いその枠を超え世界中に拡まった。

だが今そのことを言っている場合ではない。

兎に角QRコードの表示だ。女と二人で色々操作してみたが出て来ない。

紋太は時間に余裕を持って出勤するのだが、さすがにここまで戸惑っていると遅刻する。QRコード表示は断念するしかないと思い自分の電話番号を女に通知した。

諦めて2番ホームへ降りようとしたとき、やっとQRコードが出た。ヒビ割れだらけの女のスマホ画面はそれを認識しLINEが開通した。一先ず慌ただしい朝のひとときの出会いは終わった。

勤務先へ着くまで考えた、あの女は何者だろうか?日本で結婚相手を探してると言っていたが、まさか50半ばの紋太を対象にするわけもないだろう。或いは紋太の童顔と痩身が女の目を瞞着させたか?いやそれは自惚れに過ぎまい。山手線西日暮里駅のホーム辺りで顔を見られ狙いを付けられていたような気がする。上手く騙せそうな男だとでも思ったに違いない。

昼の休憩時間にスマホをみると挨拶程度のLINEが来ていた。眼を通したが返信はしなかった。女の名は白百合だった。少女漫画のヒロインのようなふざけた名前だと思ったが、“容貌からすると然程不相応な名だとも云えないか”と自分なりに納得した。その花は或いは都会の朝靄の中に佇む1輪の徒花であるのかも知れないが…

その夜再びLINEがあった。

「明日新宿でスーツケースを買いたい」

「僕に買って貰いたいと言うことか」

「自分で買います、貴方に新宿まで一緒に行って選んで貰いたいと思った」ということだった。

紋太は迷いつつも、その後の連絡は避けた。慌てないことだ。必要ならまた連絡してくるだろう。なければそれまでの話しだ。その後連絡は無かった。

 

在り来たりの日常の中で一つのドラマが始まりを向かえるのかも知れない。多くは失望を掴むものだが危険なドラマの始まりは誰でもある種の期待を持つものだ。

何処で、何が起こるか分からず、いつだって人は行き当たりばったりのその場凌ぎであり、その場が凌げなくなったらそれまでだ。

今生きていることは単なる偶然でしかないし、生きていれば常にそこに死が存在する。夕べに眠り、朝(あした)に目覚めることの不可解性。ゼノンの矢は飛んでいるのか止まっているのか? 時間は存在するのか、しないのか?

いずれにせよ人生は徒労に過ぎない。悪あがきを性懲りもなく繰り返し、繰り返す力が無くなれば死んで行く。何の価値もない。

とは言っても据膳は喰わねばならない。愚かなこととも云えるが欲望を抑え、不完全燃焼を来すことは精神衛生上余り好ましいことではない。人はこの愚かなことの繰り返しを死ぬまで続けて行く。悪行と挫折の連続だ。

紋太は誰かのために善なることをしようと思ったことはなく、そういう行為をした記憶もない。いやその前に''善なること''とは何かがわからない。幸せや健康を祈ることも考えたことがない。考えた処でそれ等が何かの役に立つのだろうか?

 

紋太は白百合という女のことを考え続けた。10年以上前ふとした偶然で中国人一家5人と数年間一緒に暮らしたことがあった。従って中国人と全く没交渉であった訣ではないが若い女との接触は初めての事だったので幾許かの緊張は抱かざるを得なかった。

紋太に近付いて来た目的は何か?裏で糸を引いている悪辣な斡旋屋はいないのか?中国マフィアは?金目当てか?一人で不安だからあちこち案内しろとでも云うのか?等色々考えると際限がない。方向性が決まっているのに、理屈付けなどどうでも良さそうなものだがあれこれ考えることは止められない。ある種の危険性は常にその行動の内に孕んでいるのだ。リスクの無い人生に意味などありはしないとでも考えるしかない。

 

1週間後の7月も間近に迫ったころ、今度は葛西で会いたいと言ってきた。新宿から一気に葛西に飛んだ。少し遠いが葛西は不動産の物件探しで行ったことがあるので場所に対する違和感は感じなかった。

「葛西のマーサージ店で13時から仕事があるので仕事前の1時間位会って話したい」ということだった。紋太は少し時間を置いて承知したと連絡した。

約束の日、チャージだけのSuicaと現金3万円のみを持って家を出た。用心深い性質(たち)の紋太はトラブルに出会った時の被害を最小限に留めたいと思い、免許証、保険証、クレジットカード等は全て家に置いた。上野から日比谷線に乗り、茅場町南北線に乗り換え葛西駅に着いた。11時40分だった。

 

「今車内でもう少しで着きます」と彼女からLINEがあった。

「中央口で待ってる」と返した。

「どこですか?」

「中央口だ」と再び返したが、少し経ってから

彼女から「今、西口に着きました」と着信があった。

中央口から西口までは距離はあったが「じゃーそっちへ行くから少し待って」と返信し紋太は西口に向かった。

西口に立って居た彼女の姿に紋太は驚きと戸惑いを感じた。西日暮里で出会った時と余りにも印象が違っていた。大きなスーツケースを持ちリュックサックを背負い紺色の地味なワンピースを着た白百合はまるで全財産を持って家出をして来たと云わんばかりの恰好だった。

白百合の案内で駅前のロッテリアに入った。ここは先に支払いを済ませるようで、あなた何しますかと白百合に聞かれたので紋太は“珈琲とサンドイッチを”と言った。白百合も自分のものを注文しさっさと二人分の支払いを済ませてしまった。ロッテリアの名を紋太は知ってはいたが入店するのは初めてだった。

2階は少し狭いがファミレスのような仕様になっていた。

「私は4月に日本に来ました。その前に姉と何回か来ています。

母が病気で入院しているけど姉弟が面倒看てるので心配ない。

私は日本で働き、日本人と結婚したい。好い人探している。あなた独身?」と彼女は姉と来た時写したスマホの写真を見せながら話をする。

「いや僕は結婚しているよ」と答えると

「独身じゃなくても好い人欲しい」と言ってくる。

出身は山東省だという。中国でも二番目の経済圏を持つ大きな省だ。大都市青島の中心地からバスで1時間位の処に住んでいたと云う。

「私はマーサージとコンビニの仕事がある。今日はマッサージの仕事です。今まで同じように中国から来た人達と4人で生活していたが、今日原木中山のアパートに住むことが決まった。仕事終わったらそこに行きます」

「富士山は近くか。京都へはどう行く?」 

傷だらけのスマホ画面を頻りに操作しながら紋太に矢継ぎ早に質問するが、穏やかな物言いは少しも喧しさを感じさせない。

その質問の間隙を突いて紋太は慎重に尋ねた。僕にどうして欲しい?

意味が伝わったのかどうか知る由もないがそれに対しての答えは無かった。想うにそれは「決めるのはあなたの方でしょう」と暗に紋太の心の中を見透かした上でのあざとい対応なのかも知れない。屈託のない話しぶりの中に時折見せる蠱惑的な表情が、二の足を踏んでいる紋太の煩悶する心の内を刺激する。50分は短い。会話は楽しいものであったが殆ど彼女の話を聞くことに終始したような気がした。

どうやら背後に何者かが居る訣でも、美人局でも無いようだ。しかし今後どうするかを自ら言い出すことも、白百合から聞きだすことも出来なかった。

帰りがけに飲み掛けの紙コップに入った彼女のコーラを「ちょっと持ってて」と言われ預かった。

特に次の約束をするでもなく、ロッテリアを出たところで白百合から預かったコーラを渡した。

彼女はスーツケースと大きなリュックサックを背負いコーラの入った紙コップを大事そうに持ってマッサージ店の看板の方に、振り向きもせず力強く歩いて行った。溌溂としたその歩みは見知らぬ国で新たな目的に向かって懸命に生きて行こうとする若く、清々しく、耀くような姿として紋太の眼に映った。

一面を覆う雲の彼方に、如何にも初夏を向かえようとするかのような僅かな青空が垣間見えた。彼は何か晴れやかな感じを覚えて暫く白百合を見送った。

その時、もうこの先白百合から連絡があっても無くてもいいと思った。西日暮里で逢って葛西で別れた女、たった2日間の、しかも数時間の出会いでしかなかった女、この先会うこともないであろう白百合と称する女に対して、これ迄人の幸せを願うことなど考えもしなかった紋太が、いつしか白百合の幸運を祈っている自分を見出だした。

彼は“らしくもないな”と自嘲しながらも、同時にふと肩の荷が下りたような解放感に満たされつつ葛西を後にした。

 

3カ月後白百合から連絡があった。

「あなたを探していた。スマホを新しくしたらあなたのLINEが消えてしまった。だからショートメッセージした」と。

白百合よ、さて君は何を求めているのか。

 

 

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